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日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

映画「恋するトマト」を観て考えたこと。

来日中のマニラのご近所さん、Toshiさんから、「恋するトマト(Kumain ka na ba ?)」のDVDをいただいた。
前から見たい見たいと願っていた作品。予期せぬところから入手できてうれしかったね。
佐太郎の好きなラブ・ストーリーじゃけん、喜んで観たさ。
3回ほど見たが、1度目よりも2度目、2度目よりも3度目と作品の面白さや意図が伝わってきた。
退屈な作品なら、1度見て2度と見る気がしないのだが、3度も見てしまうとは、この作品には、それだけ何かひきつけるものがあるようだ。不思議な魅力が。

雑な作りのようで、緻密な構成がみて取れる。こだわった台本だ。
映画を作るまでの構想13年という。
映画人間のこだわりが随所、見られる。

この映画に日の目を見せた中心人物は主役を演じている大地康雄。
映画の中でも言っていたが、フィリピン人としても通るジャガイモのような風貌。
お金集めにも奔走したという映画野郎だ。
実際の農作業を苦しいほど、体験し、内面から農民の顔を作っていったそうだ。好きだねえ、こんなアホ、いや、こんな役者馬鹿。最近、いなくなったからねえ。

もう一方の主役クリスティーナは、1986年、ミス・インターナショナル・フィリピンのアリス・ディクソン(Alice Dixon)が演じる。文句なく、清純でいい女だねえ。佐太郎好みよ。
正男が女衒業に従事していたのを知って、クリスティーナがなじる場面がある。クリスティーナが何か叫んでいる。よく聞き取れず、フィリピノ語だと思っていたら日本語だった。
 「嘘つき! 日本人、嘘つき!」
聞き取れたとき、思わず笑っちゃった。けど、感動したよ。
こんな良い女なら、なじられてみたいって羨望を抱いたほどよ。ナニ、佐太郎、お前、Mだろってかあ。否定はしないぜ。ハハハ。

概して、フィリピン女性はルビー・モレノが好演しているホステスのリバティのようなしたたかな女性ばかりとステレオタイプで考えがちである.が,そんなことはない。クリスティーナのような清純なしとやかな女性もいっぱいいるでよ。その点は、日本となんら変わりがない。比率もそんなに変わらないような気もする。
ていうか、佐太郎は、我が偉大なる女房殿の中に、したたかな部分と純情な部分の両方を同じくらい見ているわけでえ。したたかな部分にどんだけ悩まされたか。純情な部分にどんだけ癒されたか。女性って複雑で理解しがたい魔物じゃあ。
かくして、佐太郎のフィリピン女性観、できているんでさあ。ナニ、お粗末な話だってかあ。ハハハ。カアチャンに乾杯!

この映画の予告編のキャッチ・コピーはよくできている。この映画のテーマと見所のすべてを表していると言っていい。
・農家の長男であるが故、ことごとく恋に破れ、結婚できない中年男と、フィリピンの農家の美しい娘のラブ・ロマンス
・アジアの大地をつなぐ純愛
・丹精した分、よく育つ。愛した分だけ大きく実る
この三つの文をキーセンテンスとして、この映画を考えていく。

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農家の長男であるが故、ことごとく恋に破れ、結婚できない中年男と、フィリピンの農家の美しい娘のラブ・ロマンス
アジアの大地をつなぐ純愛

日本とフィリピンの農を媒介とした男と女の出会い。新鮮だねえ。
ここ二十数年、ほとんど水商売を媒介とした日本とフィリピンの出会いだったからねえ。

タレントビザによる来日のため、タレントというまやかしの言葉で呼ばれるフィリピン人出稼ぎホステスと日本人の男性客との間に織り成される日比の人的交流関係は転換期に来ている。
昔から、いわゆる水商売の女性達は、東北、北海道、沖縄などの貧しい地域の出身者が多かった。それが、ここ二十年くらい、より若いより人件費の安い外国人にとって代わった。その中でもフィリピン人女性の数が突出し、フィリピンパブ、フィリピンクラブがどんな田舎にもあるようになっていた。
フィリピーナ=ホステス、という図式が日本人の頭の中に出来上がってしまった。
タレント全廃なんて野暮なことは言わない。だが、他の国の外国人ホステスと比較して適正な数に制限することは続けていってほしいかな。

日比間をとりもって、女性を送り出したり女性を紹介したりする仕事は賎業である。一昔前は女衒と呼ばれた職業だ。
そのことが認識きない輩にはこの映画は理解できないだろう。
ホステスのリバティとその両親に騙されてマニラで無一文になった田舎者の正男。
一時はホームレスにまで落ちぶれはしたが、農作業で培った真面目な善人面がマニラの裏稼業の日本人ボスに認められ、日本人のお年寄りに女性を斡旋したり、17歳の娘にパスポートを偽造して21歳で送り出したりする女衒稼業をそつなくこなすようになり、そこそこに金の廻りが良くなる。が、一方で心の中に空洞が生まれてむなしい思いが溜まっていく。金回りがよくなればなるほど、ポッカリあいた空白が大きくなる。

年金生活者と思われる日本人の一団に女をあてがって遊興の地に船で送り出す場面。 
正男の顔の表情がその苦渋を伝えてくる。大地康夫の演技は圧巻だ。
微妙な心の綾をジャガイモのような大雑把な造りの顔に繊細に表現する。

「アジアの大地をつなぐ」という視点で考えてみた。
日本とフィリピンの農の連帯は幻想なのだろうか。
正男の故郷、茨城県新治郡霞ヶ浦と、おそらくはラグナ湖畔にあると思われるクリスチーナの田舎は、驚くほど風景が似ている。この映像を見ていると、なんだか連帯も可能な気がしてくる。
農村の嫁っこ不足の解消と、農村部の人口増加の対策として、タレントビザがだめなら、フィリピン女性に農業実習ビザなんか発給したらどうだろう。看護師・介護士のすみやかな導入とあわせてな。
日本国の人口減少は国家の繁栄を危うくする。日本の食料自給率は下がっている。危険領域に入っている。
人口問題と食料問題は、国家の根幹を揺るがす大問題なんだよな。
自民党でも民主党でもいいわい。国家的プロジェクトで「農村の嫁捜し」に取り組んでみいや。
今般、地方を大切にせな、あかんのやろ。
日本全国、津々浦々の中年独身男に彼等の「クリスティーナ」を探してやれえな。
政治家の務めやろ。

水商売より農業、看護師・介護士による日比の出会いの方がまっとうといううものさ。お天道様もうなずきなさるでえ。

この映画を見て、日本の深刻な農業問題、人口問題まで考えてしまったんさ。
死に損ないの佐太郎も、時々真面目になるんでさあ。そうでもないか。言ってることが荒唐無稽だってか。

区報によると、佐太郎の住む東京新宿区の外国人比率は10%を超えたのだそうだ。
10人に1人は外国人が住んでいるんだ。正規に住民登録している数でだ。
新宿区は「多文化共生のまち」を謳っている。その取り組みが始まっている。
この国際化は日本全土に広まっていくだろうな。
好む好まざるにかかわらず、日本が繁栄していくためにはこ他民族化、国際化は時の流れだ。多文化共生は避けて通れないだろう。
だいたい、日本は単一民族国家だなんていうのが幻想だ。天皇制維持のための詭弁だろう。佐太郎は天皇制についてはどっちでもいい。これからの世を作る若者達が決めていくことだ。
ただ日本は原日本人に大陸から南方から流れてきた人々の血が混ざっている点ではすでに多民族国家なんだよな。
大和魂、なんだろうね。昨今の大相撲を見ていると、大和魂よりもモンゴル魂の方が信じられるべさ。
とにかく、日本語という共通の言語文化を持つ人々が日本人なんだよな。民族は関係ない。どんどん、諸外国から新しい血を導入せよ。
他民族国家、それが日本に残された唯一の繁栄への道のような気がする。
50年、100年先を読んで、命をかけて行動する人が国士なんだ。
そろそろ、本物の国士が出てきてほしいものだね。

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丹精した分、よく育つ。愛した分だけ大きく実る
農の原点、魅力を端的に表している。感動するいい言葉だよな。
正男がフィリピンに植えつけた大玉のトマトのことを言っているんだけれど、クリスティーナとの間に育まれた愛のことも指しているよね。さらには、農業で生きることへの希望までも感じさせるよな。
「金さえあれば何でもできる、幸せになる」という一般的風潮への激しいアンチ・テーゼとして捉えてもいい。


正男の農業回帰は、この映画のもう一つの重要なテーマなのだ。
農への志は高いが、嫁のきてがないだけで未来に希望が持てずに農に対して挫折を感じてしまった正男。長い回り道の末、クリスティーナという存在に得、再び、農への情熱を取り戻すのだ。「トマト」って、やはりクリスティーナみたいだな。
最後の場面の正男の独白には、泣けたねえ。

『太陽と水と土の大切さを教えてくれたフィリピンとあなたに感謝します』

青枯れ病などにやられてしまうトマトは繊細な植物なのだそうだ。
フィリピンにはミニトマトしかなかったそうだ。
失敗を重ね、土に目覚め、協力してくれたグループはあったものの、この映画で初めて大玉のトマトを作ることができたのだそうだ。この事実だけでもすごいと思わないかい。

  映画の力と映画野郎に拍手!!  パチパチパチパチ。
by tsado4 | 2007-10-12 08:01 | 比国を考える