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日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

フィリピノ語、六十の手習い

人生には、何事をするにも時機というものがある。
若いころ、一度タガログ語をやりかけたことがあるが、必要性もなく仕事が忙しくて挫折した。
子供を食わせる方が先だったものね。
途中で投げ出したことを無意識にずっと引きずっていたのかもしれない。
もう何の時間的制約もない。敵討ちをしてやろう。フィリピノ語に再挑戦してみようという気持ちになっていたようだ。
気まぐれ。時間つぶしと言われても仕方ない。あっし、結構負けず嫌いでしつこいんだ。

初級の英語ができれば、フィリピンでは、そんなに困ることはない。
じゃあ、何のためフィリピノ語をやるんだと言われると、はたと困ってしまう。
フィリピノ語を生かして、仕事とか学問をするわけではもちろんない。
そんなこと廃棄処分寸前のこのジジイにできるわけないだろう。
何か功利的な理由がなければ、語学を学んじゃいけないのかよう。
そう趣味さ。全くの趣味さ。純粋に趣味さ。いけないかい。
えっ、無意味な努力だって?
ハハ、人生それ自体が無意味の集積とも言えなくもないかい。
「人生で唯一意味があるものがあるとすれば、それは死である」なんて言ったニヒリスティックな作家もいたなあ。それも一つの哲学。
そろそろ、ジジイ、その無意味の終結も近づいている。

まさしく六十の手習い。
記憶力も理解力も数段低下している腐った頭で語学を習得することは相当にしんどい。
若いときの3倍から5倍、時間がかかる。
いや、逆だな。
脳に刺激を与えることで脳の血流を良くし、腐った頭のリハビリをしていると考えれば良いのだ。こういうのをプラス思考って言うのさ。

ということで、学習計画を以下のごとく、策定する。
ジジイ、何かするとき、大袈裟に形から入る傾向があるんだよ。
(第一段階)文法書を読破し、フィリピノ語の概略を身につける。
(第二段階)数冊の会話集、単語集よるよく使われる日常的表現、慣用的表現の習得と語彙力の増強。同時に文法書の重点的復習。
(第三段階)ジジイ、よたよたと街に出かけて、実践で会話力に磨きをかける。

現在、使用している書籍
 文法書:フィリピノ語文法入門(大上正直著、白水社)
 入門書:初めて学ぶフィリピノ語(吉村近男、語研)
     CDエクスプレス・フィリピノ語(津田守著、白水社)
 単語集:絵でわかる・フィリピノ語基本単語2000(佐川年秀著、明日香出版社)


とかなんとか言ってさ。少し話せるようになって可愛いネエちゃんと仲良くなりたいなんて魂胆があるなんじゃないかって。
ハハハ。滅相もない。そんなこと、否定するわけないじゃないか。
フロイト流に言うと、リピドー(性的衝動)って、生きる力じゃなかったっけ。

下心 隠して学ぶ フィリピノ語 リピドーなければ 無用の長物  佐太郎

ごめん、ちょっと下ネタ風味で。
やましいことなんか、何にもないさ。そんな風に思われると心外だ。もの悲しさが先に立つだけよ。クウッー
好好爺佐太郎は、真摯にフィリピン人の庶民とコミュニケーションを取りたいだけさ。
ジジイは、フィリピン人をフィリピン社会を俯瞰するのではなく、下から見上げたいんだよ。
そのためのフィリピノ語学習なんだよ。

まだまだ初歩の段階にあるが、現在の時点でのフィリピノ語学習の雑感を箇条書きにしてみた。
・英語とも日本語とも構造的に全く違う言語だな。
・語順もでたらめなようで、規則性があるんだよな。フッー。
・動詞はドウシようもなく面倒くさい。親父ギャグでも言いたくなるほど頭がグチャグチャになる。腹立たしい。何度放り出そうと思ったことか。
・動詞の相と焦点の理解がポイントかな。
・各焦点の動詞とANG形、NG形、SA形とのからみが今一つわからない。もう、習うより慣れろか。
・「相」は英語の時制に相通じるものがある。わりと理解し易いかな。動詞の語形変化も使っていくうちに、なんとかなりそうな気がする。
・「焦点」が最難関だな。そのセンテンスが何に焦点があたっているか、つまり、主題が何かということなんだろうが、使われる動詞、語順が違ってくるんだよな。なんていってるけど、まださっぱりわかっていないんだ。その代わりをするものって、日本語では助詞、英語では主語とか位置かな。ウーン。
・私の使った文法書は、英語文法との比較はなされているが、日本語文法はほとんど意識していない感じがした。

最後に一言。
フィリピン人はフィリピノ語という全く違う言語で思考している。思考回路が違うのさ。
フィリピン人を理解できないと言って嘆くのは、ある種の傲慢というものでなかろうか。
自分達の価値基準が絶対的であり、それにそぐわないものを批判し受け入れないアメリカ人を「醜いアメリカ人」と昔呼んだ。今も変わらないけどね。
私達も自分達の文化でしか物を見ることのできないアグリー・ジャパニーズという心の狭い人種にならないように気をつけねばね。

とにかく、言葉は文化だぜ。

昔から、言い慣わせられている。含蓄のある言葉だ。
  郷に入れば郷に従え。
Hiromi Goも言っている。含蓄のある言葉だ。
  僕達、男の子。ゴー、ゴー。
by tsado4 | 2006-05-07 15:22 | 比国を考える