日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

(死に関する随想 6)尊厳死

私の住んでいる飯田橋の駅前にギンレイ・ホールという映画館ある。
名画座系で、封切り落ちの洋画、韓国・中国の映画、話題の日本映画を上映している。
これはと思った映画を観るようにしている。
月1回くらいのペースかな。
最近、続けて「空を飛ぶ夢」と「ミリオンダラー・ベイビー」という尊厳死をテーマにした映画が上映された。

空を飛ぶ夢
スペイン映画。
海の事故で首から下の四肢が麻痺してしまい、26年間、ベッドの上で過ごしているラモン・サンペドロ。絶妙な会話をこなし、すばらしい詩も書く知的男であるが、自らの命を絶つ決断をする。
主人公は、空想で空を飛び回る。残された自由は空想の自由なのだ。
空想シーンの映像がすばらしい。
その中の犬が交尾するシーンが、何故か、印象に残っている。
街角に放し飼いの犬のいなくなっって、そういう光景を見ることもなくなった。見方によっては過激なのに、どこか懐かしく心温まる思いがした。幼少期の原風景の一つなんだな。ごく自然に性というものを目のあたりにしていた。優れた性教育だったよな。何だかどきどきし、恥ずかしくもあった。空想シーンはいろいろな映像で人間の営みを象徴的に表していたが、人間の秘め事を連想させたかっただろうか。
性なんて、ごく自然なことで隠すべきものではないのに、人間様だけはどうも歪んだ方向に進んできたようだ。

ラモン・サンペドロ、26年間、禁固刑に服しているようなもの。
それ以上だよな。さらに、身動きできないようにベッドに縛り付けられている状態か。目の前、30センチの距離が永遠の距離と言っていた。
周囲に迷惑をかけているという思いもあって、死を願う気持ちは一時の気の迷いではない。強い願望なのである。
私は、この12月、フィリピンで痛風にかかりまったく動けなくなった。マニラの病院に入院し、1週間、ベッドから移動できない体験をした。その短い期間でも精神的に耐えられず、死を考えてしまった。ましてや、ラモンの場合を思うと・・・

ミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッド監督・主演。
老トレーナーと不遇な生い立ちから30を過ぎてもボクシングに情熱を失わない女性ボクサーとの出会いと心の交流。連戦連勝でタイトルマッチに臨む。ここまでは、女性版ロッキーだ。が、その試合で相手の反則をくらい、全身麻痺になってしまう。

ボクシングを取ったら何も残らない女性ボクサーは、死を望む。
老トレーナーは生命維持装置を外し、致死量のアドレナリンを注射し、姿を消す。「空を飛ぶ夢」に比べて、尊厳死にいたる過程が、荒削りで乱暴だ。
イーストウッドは、この映画をラブ・ストーリーと言っている。
深く愛しているから殺す。そんな無茶な短絡的論法、与することはできないな。絶望の中での衝動的願望。現実的には、他にするべきことはいくらでもあったのに・・・
フィクションの世界だものなあ。ドラマのエンディングしてはこんなものかなあ。

死を望む人の手助けをする。
法律的には、殺人罪。

人間としてのプライドが保てない状態になったとき、人は殺してくれと願う。
私はキリスト者のはしくれ。
神からいただいたかけがえない命を自ら捨てるなどということは許されない。自殺は認めたくないし、自らも絶対に拒む。
映画の中では、頑迷で杓子定規なカソリック司教の態度を批判的に戯画的に描いていたが、わからないこともない。

ラモン・サンペドロのような人の自殺幇助に軽々しく殺人だなどと言えない自分がいる。他にしてやれることがあるんだろうか。苦しむ他人を見て見ぬふりするのも罪だよな。
女ボクサーの場合だって、心情的には共感する部分もある。
この辺はグレーゾーンだ。
人は、立場によって、考え方も感じ方も違ってくる。
同じ人間だって、時間と共に変わってくる。
その時、その場で、深く考えて、正しいと信じたように行動するのさ。

安楽死と尊厳死、どう違うんだ。
病気で肉体的苦痛に極度に苦しむ状態にあったとき、本人は早く楽にしてくれと死を願う。家族も見ていられず、死を願う。
こういう肉体の苦痛の除去を目的とした死の手助け。これは許せる部分があるな。
一方、尊厳死は心の問題だ。これはできることなら認めたくない。
すべての方策が尽きた時の尊厳死、ウーン・・・・
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by tsado4 | 2005-10-22 16:09 | 死に関する随想