日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

<   2004年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧

死を考える

このテーマ、重すぎるかな。
でも、構えることなく、今思ってること考えていることを、毎日、少しずつ、書き綴ってみよう。
どっちみち、雑文・駄文集、落書き帳という位置づけなんだから。
書くことで整理できるってこともあるしね。いや、大いにあるね。

  ─────────────────────

児童期、少年期には、死について考えるだけでも、胸の奥が張り裂けるようで、その場にいたたまれず大声を出したい衝動にかられた。本能的に怖かった。

はっきりと、死というものについて意識して考えるようになったのは何時のころからだったろうか。
確か小学5年か6年の頃だったと思う。同じクラスの木村君という大柄で、大人びた子に「人間は、誰でもいつか必ず死ぬ。永遠に生きることはできない」というようなことを言われ、それまではそんなことを考えたことも無かった幼稚で奥手の私は、ひどいショックを受けたのを記憶している。
永遠に生きることはできず、いつかは必ずやってくる死。受け入れられない。何とか死なずに済ますことはできないものか、夢想していたような気がする。

高校の頃、今度は逆に「人間に与えらる最大の刑罰、苦しみは永遠に生きることを科されることである」というような内容を何かで読み、わかったような気もしていた。実際は何にもわかっていなかったのに。でも、とにかく、死は本能的に怖かった。やはり、心の奥がキューンと絞めつけられるような恐怖。
青年期も壮年期も、努めて、死というものを考えないように考えないようにして、逃げ回っていた。真正面から考えることはなかった。

大学時代は、一応、理系の学生であり、唯物論的な考え方(弁証法的唯物論かな、ハハ)しかできなかった。「人間、死んだら、どうなるか」「虚無である。何にも無い」といったような、青臭い議論を知ったかぶって交わしていた。
死んだら、何にも無い?暗黒の世界?その暗黒であることすらも意識できない。怖い。じゃあ、生きているうちに、せいぜい楽しまなくちゃ。刹那主義的な享楽主義的な生き方をするようになっていた。何も信じられない。何か絶対的なものがほしかった。
寮に入っていたのだが、夜遅くまで、お題目(?)を唱えている創価学会員の友人を半分馬鹿にし、半分羨ましくもあった。よりどころをつかもうと、いろいろなものに手もだした。
俺は、何にも支配されないアナキストだなんて、いきがってもいた。
ハハハ、馬鹿だねえ。

よく、一人で、旅をするようになった。当時は気軽に海外へ行ける時代ではなかったので、国内だったが。そのうち、南の島にはまってしまった。
自然(海)と対峙しているときだけは、不思議と心が休まった。
やっぱり、生命の起源は海なんだ。
納得した。

壮年期に入ってからも、いつかは死ぬと頭では理解しているものの、それはずっとさきのこと、まだまだ、自分には関係のないものだと思っていた。
死に損なってよれよれに生きている私にとっては、今元気にしている同年代の友人たちが羨ましい。でも、もう30年もすれば、皆、ほとんどこの世からいなくなっているんだよな。
そういうこと、忘れて生きている。それはそれで幸せなことなんだ・・・

  ─────────────────────

確かに死ぬことはこわいが、不幸に生きることの方がずっとしんどいんじゃないかな。
人間の尊厳を無くして、無意味な生を送るくらいなら、私は死んだ方がましだと思ってしまう。いわゆる「生ける屍」なんて、まっぴら御免だ。

人生を生きている物理的長さで考えたくない。
夭折はしたけれど、濃縮された人生を、普通の人の何十倍もの人生を、生きたすごい人が大勢いるよな。

現代の健康ブームも、首をかしげてしまうことが多い。
長生きするという量の方ばかりに目がいって、人生の質にあまり着目していないよね。
充実した意味のある生を送るという視点で、もっと考えるべきだよな。
アイロニーをこめて言わせてもらうと、死にたいくらい退屈でも、なんとか生きていることを志すのが、健康ブームさ。
どうしても生きてしなければならないことがあるから、健康に限りなく気をつけている人って、どのくらいの割合なのかな。

長生きしたからって、勝ち組じゃないんだぜ。
寿命はよくロウソクに譬えるられる。
ロウソクが長ければ良いってもんではない。何を照らしたかが問題なんだ。

それに、人生を勝ち負けでとらえること自体が間違っているんだよな。
例えば、人生を、マネーゲームととらえるなら、そりゃ、勝ち負けがはっきりするかもしれない。この見方が現代の支配的風潮だし、たいていの人が、程度の差はあれ、これに毒されている。私も、無意識の部分で、影響を受けて逃れられない。
しかし、人生を、マネーゲームと考えたり、権力争奪ゲームと考えたりするのは、私には、やはり愚かで、無意味なことだ。
テレビでお金持ちの生活を紹介する番組をやっていると、いらいらしてすぐ切ってしまう。嫉妬もあるんだろうけれど、それだけじゃないな。お金を絶対視する風潮、うんざりなんだ。

価値観は人それぞれだ。決め付けちゃいけないよね。
そういう考え方をする人もいてもちろんいいんだ。でも、そんな淋しい人間と、私は、つきあいたくないね。向こうも避けるって。そうだ。避けてくれればそれでお互い、ハッピーてところかな。

とすると、「ただひたすら長生き」ということに価値をおく人もいていいわけだ。百寿者になることに、生きがいを見出すってのも良いよな。私はどう転んでも無理だけど。

とにかく、人生には勝ち負けはない。
人間一人一人が、他の人に置き換えられない唯一無二の存在である。他の人と比較してはならないんだ。

そして、遅らばせながら、残り少なくなったロウソクで「何を照らす」かについて、真剣に考え始めている。本当に遅いけどね。人生終わり近くになって気がついただけで、よしとしようぜ。

  ─────────────────────

私はキリスト者だ。
自殺は絶対しない。神様からいただいた大切な命を自ら捨てることは絶対にしない。
でも、脳出血で倒れてからは、身体がつらい。頭も働かない。どこかこう生きる気力が萎えてくる。生きることにあまり執着しなくなる。私は、病気によって、このような気持ちを持つようになったが、人は皆、70になり80になり90になり、齢を経るごとに個人差はあるものの、このような状況に陥るような気がする。
自殺とは違うが、どこか「お迎えが来る」ことを待望するような心理状態になるんじゃないかな。
やがては、人は人生に疲れるんだ。そう、死は安らぎなんだ。
今は、「永遠の眠りにつく」とか「人間に対する最大の残酷な刑罰は、永遠に生きさせ続けることだ」とか言う言葉の意味が良くわかるようになった。

こういう状況に陥った人には、生きようという意欲をかきたてる何かがどうしても必要になってくる。生きる希望というか生きる動機というか。
それがなくなったとき、人は、消え入るように死んでいくのさ。「寿命がつきる」とか「天寿をまっとうする」言ってさ。
私には、今、生きる希望、動機を創り、持ち続けることが必要だ。生きることの意味をどうしても探さなくてはならない。フィリピンに住みフィリッピンを旅行してまわろうと志していることも、その一つだ。そこから新しい何かがさらに見つかるかもしれない。とにかく、私は今、かなり際どいところにいつような気がする。ここをなんとか抜け出したいものだ。


   ─────────────────────

死と本格的に向き合うようになったのは、やっぱり脳出血で倒れてからだ。

50歳を過ぎてから、死について書かれた本を読むようにはなっていた。
キューブラー・ロス「死の瞬間」、曽野綾子・デーケン「生と死を考える」、山崎章郎「病院で死ぬこと」など。ホスピスとかターミナル・ケアに関心を持つようになっていた。が、あくまでも他人事であった。

倒れたとき、夢うつつの病院のベッドで
   終に行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
という歌が思い浮かんだ。
「とうとうやってきたか。こんな風にしてくるんだなあ」
いつ死んでもおかしくないんだという思いが実感となって、私の心に定着した。

そうなると、自然と「残された日々をどう過ごすか」が切実な問題となる。
毎日毎日を慈しんで楽しんで生きよう。一日一日が大切に思えてくる。

生活を楽しむと言ったって、享楽的生活とは全然違う。だから酒色に耽る刺激的生活なんて、今の私にはほとんど関心も無い。求めるものが根本的に違ってきている。
それじゃあ、関心がありしたいことは何?
 出会いを楽しみ、感動することだ。
 心を通じあわせることのできる人と出会う。美しい景色と出会う。そして、静かで穏やかに流れる時間の中に身を沈める。フィリピンを旅行しようという願いもこの文脈からだ。
幸せは「心の中」にあるのさ。
人を支配したり、人より多くのものを持ったりして、優越感をいだいて人と比較することで幸せを感じるなんて、貧しく卑しい心の働きじゃないかなあ。本当にしあわせだとは、とても思えない。
もう一度言おう。
幸せは、「対人関係の中に」ではなく「自分の中に」あるのさ。


平凡であること、普通であることが、すばらしいことなんだ。今は、そんな気持ちでいる。

  ─────────────────────

昔のように死ぬことは、さしてこわくなってきた。

ところで、何故、若いとき死ぬことはこわいのか。
種の保存のためにも、若いとき、本能的に死を怖がるようにできているんだよな。
若い人間が簡単に死を選ぶようだとすぐに種が絶滅してしまう。
ところが、ある年齢(子を産む必要がなくなる年齢)に達するとさしてこわくなくなってくるんじゃないかな。
DNAにプログラムとして埋め込まれているんだよな。

じゃあ、誰がそのプログラムをくんだのか。
ここにくると、神としかいえなくなってしまう私がいる。
やっぱり、神の存在を信じますよ。
神なんかいないという無神論者のあなた、誰がプログラムを組んだのか、私にわかるように説明してくださいな。


歳をとってある程度覚悟するようになっても、やはり死はこわい。
そこは、未知の領域だからか。知らない場所、知らない事象は、誰もがこわい。不安だ。誰にとっても、死ぬことは未知の土地にいくことなんだ。その先には、何が待ち構えているかわからない。何が起こるかわからない。死ぬことは冒険なんだ。本当に未知の世界に旅立つんだ。
どうだい、楽しくならないかい。死ぬことはアドベンチャーなんだ。
私は、死に際にこう言いたいなあ。
「これから、冒険に出かける。ワクワクするねえ」

よく臨死体験で、三途の川を渡らずに引き返してきたとかなんとか読む。どうしても、胡散臭く感じてしまう。
三途の川とか針の山とか血の池とか、天国とか地獄とか、これって、皆、今、私たちが生きている世界の擬似世界なんだよな。現世の人間の認識・感覚で創り出した世界。
でも、私はこう考えたい。
死後の世界って、今の世界の認識・感覚で捉えられない全く異次元の世界なんだ。だから、死後の世界は、今生きてる私たちには想像すらできない。

若い時は「死んだら何もない、虚無だ」と思い込んでいた。でも、これって、根拠が無いんだよな。そう考えるのが、科学的態度だと信じ込んでいた。
でも、科学的態度って何だ。現代の科学の最先端の理論、科学的真理だって、後、何百年かたてば、当時の人たちはこんな風に考えていたのかと、お笑い種になっているかもしれないんだよな。人類の歴史の中で、まだまだ、コペルニクス的転換は、あるだろうさ。人類自体が一人の人間と同じように、有限であり終わりがある。人類の歴史なんて、地球の歴史からしたら一瞬なんだ。カゲロウのような存在なんだ。ましてや、宇宙の歴史からしたら・・・

死後の世界が「存在する」と思うのも、「何もない」と思うのも、どっちもどっちだ。誰も実証できないんだから。その人がどう思うかでいいんじゃないかな。
私は「存在する」と考える。その方が楽しいから。

でも、肉体は腐敗したり焼却されたりして、無くなってしまうのは確かだよな。何にも無くなるんじゃないか。
こういう風に考えよう。私たちの身体は腐敗し焼却されて、その細胞は分子となり原子となり、自然に還り、自然界の一部となる。
自然界と合一すること、それが神の元に行くことなんだ。

そう、死ぬことは何にもこわいことじゃないんだ。自分を完成させること、宇宙と一体になり一段と高いサムシングに昇華することなのさ。

  ─────────────────────

ところで、人は、何故、墓をつくるんだ。
亡くなった愛猫の死を悲しんでささやかな墓を作るというブリミティブな次元だったら、それはそれで好ましいんだけど、なんだか人間様の場合は違うよな。
一族の名声を誇ったり権勢をしめしたり、周りと同じにしないと世間に顔向けできないと考えたり、どうやら、生きている者のために作っているような気がする。葬儀も然り。
立派な墓に葬られるのも、山の中で野ざらしになるのも、私にとっては同じこと。むしろ、野ざらしになる方が「自然に還る」という意味では、望ましいし、正しい。
葬式産業の世話には、できるだけならないでくれ。墓なんかに金をかけるなよ。
マニラのパシグ・リバーにドザエモンになって浮いて、そのうち、魚に食べられてもいいんだぜ。うーん、やっぱり嫌だなあ。

死ぬこととは、自然に還ること、自然・宇宙と一体化することなんだ。私の身体を構成していた原始分子が、炭素などの元素となって、自然の中に拡散していくことなんだ。
遺灰を海に散布するのが、理想だな。熱帯雨林でも良い。エジプトの王やレーニンのようにミイラになるなんて最悪だ。

 妻への遺言
愛するカアチャン、俺は、墓なんかいらない。葬式もいらない。それでは気がすまないというなら、神父様に祈っていただいて、その後は、俺の死を本当に悲しんでくれる奴だけで、飲んで食べてにぎやかに楽しくやってくれ。俺の悪口を、恨みつらみをさんざん言っていいよ。

お願いだから、コツツボなんかに入れて、暗い地下なんかに閉じ込めないでくれ。
俺が死んだら、遺体をさらさらの灰になるまで焼却して(ウェルダンだよ)、その遺灰を、子供たちとの思い出の地、セブか、ボラカイか、エル・ニドの夕陽の傾く美しい海に、撒いてくれ。俺の墓は大自然だよ。

墓が無いことに抵抗があり、俺のこと、少しでもいとしく思えたら、きれいな小瓶(香辛料なんか入ってた小瓶でいいよ)に俺の遺灰をつめて持っててくれよ。かわいいリボンなんか結んでさ。「世界の中心で愛を叫ぶ」の真似だって。いいの、いいの。俺がロマンチストでミーハーだって、よく知っているだろ。
あるいは、これもテレビで見たんだけど、灰をペンダントにつめて首にかけててくれよ。粘土に混ぜて焼いて、陶器の十字架にしても良いよ。しっかり守ってやるからな。

なるべく頑張って、生きるつもりだけど、何時、神様のお呼びがあってもいいように覚悟だけはしているよ。

この遺書が読めないって。和夏の母さんか、清太の嫁さんになっている人に読んでもらえよ。
みんなと仲良くするんだよ。ガミガミと口やかましくするなよ。
[PR]
by tsado4 | 2004-10-14 13:41 | 死を考える
まずは、次の歌詞をじっくり味わってみてよ。知っている人は、小声で歌ってみてよ。
彼女の情念のこもった声を思い出してみてよ。

赤く咲くのは けしのはな
白く咲くのは 百合のはな
どう咲きゃいいのさこのあたし
夢は夜開く

十五 十六 十七と
あたしの人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜開く

昨日マー坊 今日トミー
明日(あす)はジョージかケン坊か
恋ははかなく過ぎて行き
夢は夜開く

夜咲くネオンは 嘘の花
夜飛ぶ蝶蝶も  嘘の花
嘘を肴に酒をくみゃ
夢は夜開く

前を見るよな 柄じゃない
うしろを向くよな 柄じゃない
よそ見してたら泣きをみた
夢は夜開く

一から十まで馬鹿でした
馬鹿にゃ未練はないけれど
忘れられない奴ばかり
夢は夜開く

夢は夜開く

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」と比較してどうだい。
比較の対象にならないって。やっぱりねえ。

藤圭子は、旭川の小学校、中学校に通った。
私と同時代に旭川に棲息していたらしい。
だからか、どこか親近感を持っててしまう。

若い頃、藤圭子は、あまり好きではなかった。
前川清とのバカップルに、軽い軽蔑さえ抱いていた。鼻であしらっていた。

だが、歳を取った最近、どんどん、圭子が好きになっていく。その良さがわかってきたのかな。

圭子は、暗い情念を歌っていたけれども、本当はものすごくポジティブで革命的な女なんだよな。

新宿、花園神社の境内に「圭子の夢は夜開く」の碑がある。
ゴールデン街の隣りの花園神社は、よく徘徊した、私の想い出の地でもある。
喧嘩して、深夜、友達をボコボコにしたこともある。アサハカだったよな。
        
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原因を思い出した。
よかった、女のことじゃなかった。
お坊ちゃまのスカした野郎が、親に金をもらって、口先だけでナマを言うんで、腹がたって腹が立って、プロレタリアートの鉄拳制裁さ。
当時、毎日、建設現場の肉体労働に明け暮れていた。
気分だけはプロレタリアートさ。
ハハハ、全然、違うのにね。馬鹿だよねえ。
暴力には、免疫のある時代だった。暴力のことをゲバルトと言ってね。

      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

おいおい、穏やかじゃないねえ。
お前、キリスト者なんだろう。
ああ、でも、当時は違った。衝動だけで動く、心の荒れた自分がいた。
まったく、一から十まで馬鹿でした。
考えは足りなかったけど、結構純粋に思いっきり生きていたことは確かなんだが・・・

深夜の鉄拳制裁、こんな罪、まだ軽い方さ。
もっともっと大きな罪を犯していたような気がする。
法律的な罪を言ってるんじゃないよ。

   前を見るよな 柄じゃない
   うしろを向くよな 柄じゃない
   よそ見してたら泣きをみた
ここのフレーズ、特に好きなんだ。
よくわからないが、不条理を感じ取るんだ。

夢中だった。その時を精いっぱい生きていた。
まわりなんか見えなかった。
自分の好きな自分がいた。
1970年代。

    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


鉄拳を振るったなんて、お前、ちょっと、かっこよすぎるんじゃない。
まあ、勘弁してよ。実際は、振るわれた方が多かったんだから。
人生、終わってみれば、プラスマイナス、差し引きゼロさ。

新宿3丁目の「ポパイ」って飲み屋で飲んでいて、喧嘩になり、表であっと言う間にのされたことがある。後で聞いたら、元ボクサーなんだって。
てやんでえ、素人を殴るなんて、ボクサーとして失格だろうに。(だから、元がつくんだ)
でも、大怪我をしなかったところみると、だいぶん手加減をしてくれたんだよな。
酒癖が悪かった。自業自得さ。どうせ、お前がからんだんだろう。

自分の鼻血で血だらけになってわめきちらしていた。かっこワル~。
たぶん人だかりができていたんだろうな。
パトカーに乗せられて、四谷警察署に直行。
一応、被害者なので、まもなく解放されたが、署内でギャアギャア、がなり立てたのを覚えている。男のヒステリーさ。
どうだい、俺って極めつけの馬鹿だろう。
後で知ったんだが、新宿でも、あの辺は、四谷署の管轄なんだ。
どんなときでも、知ることはあるんだぜい。

それから、しばらくして、いつも一緒にいた遊び仲間が酔っ払って喧嘩して殴られてた。
類は友を呼ぶ。馬鹿は群れるんだよな。今も昔も変んねえ。
でも、そいつは頬骨を折って2ヶ月くらい入院した。
どうだい俺って馬鹿だけど運が良いだろう。
昔から、ギリギリのところで難を逃れるんだ。
 
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

どうしても「圭子の夢は夜開く」を聞きたくなり、税込み1029円の藤圭子のCDを買った。このところ、リハビリの筋トレをしながら、毎日、聴いている。
男に従属するか弱い水商売の女、不幸願望のマゾヒスティックな女のオン・パレード。
弱者としての女を強調する他愛もない歌詞に辟易する。
この歌詞、頭で考えると腹が立ってくる。
音楽って、心で感じ取るもんだったな。特に、庶民の音楽は。
演歌を聴く姿勢がなっていないんかなあ。
幼い頃から、浪曲師の両親と温泉場を旅回った藤圭子の原風景を想像しな。

自己暗示をかける。
理屈ぬきで、どっぷりと浸ってみよう。

なるほど、うんうん、良い気分がしてくるね。
良いよ。良いねえ。
感情の襞の奥深くにしまいこまれているネットリとした熱いものが騒ぎ出す。
   馬鹿だな、馬鹿だな、騙されちゃって~
   夜が冷たい 新宿の女~
これって、状況をちょっと変えれば、お前じゃないか。
ホロリとくるね。

そういうわけで、聞き込んだ結果、パソコンに入れる藤圭子のBEST3曲を次のようにした。
 「圭子の夢は夜開く」
   過去の不幸な自分を断ち切って明日を生きようという藤圭子には珍しい未来志向の曲。このメッセージ、藤圭子自身の気持ちにに、一番近かったのでは。若いときも、この曲が好きだった。夢は夜開く、意味はよくわからないけど、とにかく前向きになるよね。
  「命預けます」
   こんな女でよかったら、命、預け~ま~す。成熟した女の開き直りが小気味良い。生活がマンネリ化して秋波のたってきた夫婦は、旦那にこの曲をささげると、旦那、ドキッとするぜ。ジョークで収まれば良いけど。
  「京都から博多まで」
   すべてを捨てて、好きな男を追いかけるひたむきな女。これは素直な軽い気持ちで聞ける。すうっと心に入ってくる。

    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ここまできたら、藤圭子のファンになっちゃえということで、藤圭子の関連サイトを見て回った。
そこで仕入れた面白情報
  ・赤塚不二夫の漫画に出てくるハタ坊の「ホッカイローのケイコターン!ダリラリラーン」のケイコターンは、藤圭子のことだった。知っていた?
でも、後になって赤塚は、このことを否定したらしい。

  ・藤圭子を北海道岩見沢市の名誉市民にしようという動きが出ている。ヒカルちゃんのおかげかな。たぶん、藤圭子は興味がないだろうな。

  ・五木寛之は、藤圭子の歌を演歌でも援歌でもなく、怨歌だと言った。「ゴキブリの歌」に書かれているらしいけど、読んだ記憶ないなあ。

  ・宇多田ヒカルの札幌公演(真駒内)で「夢は夜開く」の母娘でデュエットが実現したとき、客席の圭子コールに合わせて、ヒカル自身が「藤圭子!」とコールしたらしい。舞台に圭子が出てきたときヒカルもびっくりしたということだ。な~に、仕組まれていたんだべさ。

  ・たった1年の結婚生活だった前川清との離婚に際し、クリスチャンだったため、離婚の許可を得るためヴァチカンを訪れたと書かれてある。藤圭子って、クリスチャンだったの?本当?私としては、とてもうれしいの一言。ヴァチカンということはカソリックだものね。これって、本当なら、彼女を解くキー・ワードだよ。とにかく、真偽を調べなくちゃ。

  ・米国留学後、圭子はニューヨークで宇多田照實とロックバンド[キュービックU」を結成し、スタジオにもバンド活動にも、娘を連れていった。それがヒカルだ。要するに、小さい頃から、英才教育をしていたんだよな。圭子の生い立ちと重なるね。宿命を感じるよ。
   
   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 藤圭子の履歴(付録:佐太郎の馬鹿丸出し人生)

1951年7月5日 岩手県一関市で誕生
           生後間もなく北海道旭川市に移る。
           小学生の頃から浪曲家の両親の旅まわりについていく。
     (佐太郎 1945年北海道北見で誕生。釧路を経て、1955年、旭川に移る)
中学生の頃  岩見沢市の岩見沢ホールの専属歌手
     (佐太郎 1963年上京。下総中山に住み、御茶ノ水の予備校に通う。ケネディ暗             殺)
     (佐太郎 1964年 大学入学。吉祥寺に住む。東京オリンピック)
     (佐太郎 1967年頃 新宿デビュー、この頃、新宿にフーテン族出現。長髪、汚い ジーパン、ゴムゾウリの格好をした佐太郎は、そんな意識もないのに、大学の友人にはフーテンと呼ばれる)
1968年春 家族で上京。
        レッスンを受けながら、錦糸町、浅草界隈で、流しをする。
     (佐太郎 1968年 新宿騒乱、三里塚闘争の激動の年を流されて生きる)
1969年 デビューシングル「新宿の女」発売
     (佐太郎 1969年 大学卒業、某自動車会社勤務)
1970年 「夢は夜開く」で歌謡大賞受賞
       「命預けます」でレコード大賞大衆賞受賞
1971年 クールファイブの前川清と結婚
       ゴールデンアロー賞受賞
1972年 前川清との離婚発表
    (佐太郎 1972年 フリーターになり、自由放縦な生活を送る、八重山群島など、南           の島によく行くようになる) 
1974年 喉のポリープ手術、かすれた声が出なくなる。
1979年 突然の引退声明。 
1980年 アメリカへ28歳の旅立ち
       カリフォルニアを経てニューヨーク滞在
1982年 ニューヨークNYにて宇多田照實と結婚
       (佐太郎 1982年 マニラにて結婚)
1983年 ヒカル誕生
       (佐太郎 1983年 長男誕生)
1990年頃 夫、娘とU3を結成、活動を始める。

どうだい、佐太郎の馬鹿丸出し人生、妙に、藤圭子と符合するところがあるだろう。

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 極私的藤圭子考

 圭子の仕草、生活態度は、ハスッパに見えるが、その中に自立した熱い情熱が渦巻いている。
 圭子は、慣習・しきたり・世間体をほとんど気にしない。
 圭子は、防御的人生を歩まない。

これは、わが郷土、北海道女性の一典型に私には思える。
歌手・藤圭子より人間・阿部(宇多田)純子に興味を持ちだした。


圭子のかすれたくぐもり声には、ねっとりとした情熱、熱い吐息を感じる。その微妙な揺れは、男達の感情の根幹の部分を揺さぶる。
暗い過去を背負った寡黙の少女、レコード会社の売り出し姿勢はあったろうが、歌声は、やはり、暗い癒し系だよな。

今まで気づきあげた物を夢のためにあっさり捨てる潔さ。
演歌の大御所になることもできたのに、それをあっさり捨てて、アメリカに渡った。

幼少期から、圭子にとって、歌うことは、そのままお金をかせぐこと、食べることだった。
いつの頃から、圭子は、本当に歌いたいものが違うように感じたのじゃないかな。
音楽的な渇きを感じていたのじゃないかな。
圭子は、自分の歌っている演歌の世界の女とは、反対の資質を持った、自立した強い女性だったのだ。圭子の「怨歌」は、ひょっとすると、「こんなの私じゃない」とという痛切な叫びだったのかもしれない。
赤く咲くのは けしの花~
あの暗い情念に満ちた「怨」を感じさせるハスキーな歌声は、「本当の自分」とはかけ離れた状況で生き続け、歌い続けなければならない彼女の恨みの響きだったと言えないこともない。
圭子は「本当の私」を探しにアメリカに旅立った。アイデンティテイを求めて。


旭川での小中学時代、アメリカに渡った後のこと、まだよく知られていない。
本当にクリスチャンなのか。
まだ、知りたいことは、たくさんある。

あなたは、夢のためにすべてを捨てられるかな。
[PR]
by tsado4 | 2004-10-02 11:36 | 藤圭子