日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

カテゴリ:(創作)蘭園の告白( 4 )

蘭園の告白(その1)

   ・・・・・・・・・1・・・・・・・・・・
コーラとの出会いは最悪だった。

「何よっ!あんたに関係ないでしょ。誰かあ、誰か、来て!」
とたんに、通りでたむろしていた男達が、4,5人、どっと隆志の背後に駆け寄ってくるのが、わかった。
やばい。殴られると思った。おしっこが少し漏れた。
女は敵意むき出しに私をにらみつけてきた。顔が怒りで青白く震えている。視線のきつさが瞳を射抜いてくる。
この窮地をなんとか脱しなければ。女の気持ちを落ち着けるにはどうしたら良い?
手がかりを求め、女の顔をじっと観察をした。不思議なことに怒り狂っている女の顔が美しいと思った。ひたむきに憤るその顔がまぶしかった。いとおしくさえ思えた。憤懣やる方ない繊細なガラス細工。もろくて今にも壊れそうな造作。fragileな女。守ってやりたいと本能的に思った。
その女がコーラだった。

  ・・・・・・・・・
 こんなに こんなに 君を好きになって
 本当に 本当に うれしいから
 例えば この先 挫けてしまっても
 握りしめたその手を もう離さない
 出逢えたことから すべては始まった
 傷つけあう日も あるけれど
 「一緒にいたい」と そう思えることが
 まだ知らない明日へと つながってゆくよ
     (ELT「Fragile」より)
  ・・・・・・・・・

俺は、いつの間にか斜に構えて人と接する習性を身につけていた。人と真正面から対峙する姿勢を捨て去っていた。人とまっすぐ向き合っても疲れるだけ。下手をすると損をする。己が傷つくことを極端に恐れ、何時でも逃げられる体勢で人と関係した。感情を押し殺し、誰にでもいい顔をする八方美人。もう嫌だ。もう限界だ。
歳の功、世渡り上手、身過ぎ世過ぎの達人。そんな態度をフォロウする言葉もうまい具合に存在する。が、自分のことは自分が一番わかる。無意識にの部分で気づいていた。俺は、臆病で、卑劣で、狡猾で、最低の人間だ。
人に肩透かしを食らわせる暖簾に腕押し人生。欲得のからんだ世界では、一定の効果はあげる。
残された人生の長さが気になりだしていた。これからもこんな人間であり続けると思うと情けなくなった。
自分を変えなければ後悔する。しんどくてもいい、人と真剣に向き合ってみよう。そう思えるようになっていた。
直感した。この女には俺の足りないものが輝いている。

ジジイとはフィリピン航空、PR431の座席が偶然隣り合った。
その偶然がなかったら、今の満ち足りた日々は獲得していなかったことになる。
人生は、考えてみると、偶然の果てしない繰り返しなのだ。その中の一つの偶然が欠けたなら、次の偶然は起こっていない。というより、違った偶然が起こっているんだ。
こんな偶然の連鎖に思いをはせると、隆志は運命というものを信じざるを得なくなる。
ジジイと出会ったから、コーラと出会った。
そういう意味では、隆志はジジイに感謝してもし過ぎることはなかった。


「よくフィリピンに行かれるんですか」
「ええ、まあ。2ヶ月に1度ほどです」
「お仕事、急がしいんですね」
「いえ、遊びですよ。遊びに行くんです。下半身、全開ですよ」
座席のシートベルトをもう一度しめながら、口元を自嘲的にゆがめ、薄笑いをしてわざと下卑た言葉を吐いていた。どうも、俺は気取った真面目くさった奴を見ると、無性に腹が立つ。皮肉な言葉を撒き散らし挑戦的に振舞ってしまう。悪い癖だ。ジジイは俺の思惑など全く気にせず、相変わらず慇懃に落ち着いている。負けだな。
鷹揚な物腰、きっちりと分けた綺麗な銀髪、典型的インテリ紳士。高そうな服装をさりげなく着こなしている。俺とは正反対の人種。
「ほほおう、お遊びですか。いいご身分ですね。こっちのの方ですか、それとも、こっちの方ですか」
小指を立て、そして、ゴルフのクラブを振る真似をする。このジジイの言動、いちいち絡み付いてくる。俺の神経に障る。いらいらしてくる。
「もちろん、こっちの方ですよ」
小指を立て、にやりと笑ってつっけんどんに答える。
「そうですか。こっちの方が楽しいですよね。どこが面白いですか。お教え願えますか。フィリピン、始めてなんですよ」
やはり小指を立てて如才なく答える。なんだい、このジジイ、俺が嫌がっているのをわかっているくせに。何か企んでいる。食わせ者だな。
「いいですよ。泊まるところは決まっているんですか」
「ええ、マニラダイアモンドホテルというところを予約してきました。そこまでの行き方、わかりますか」
「わかりますよ。私も近くのホテルをとっています。一緒にタクシーに乗りましょう」
「それはラッキー。じゃあ、お願いしますね」
旅慣れている感じなのに、初対面の人間に対して警戒心がなさ過ぎる。何かあると思った。誰か、フィリピンの事情通を探しているような気がした。女か。このタイプの人間は俺とは違うはず。でも、下半身は別人格と言うからなあ。こんなすました紳士面をして俺なんかよりはるかに女たらしなのかもしれない。なんだか親近感が湧いてきた。

「あなたはフィリピンでは英語を話すんですか」
「そうですよ。あと、フィリピノ語を日常会話程度」
「すごい。それは頼りになりますね」
頼りになります? ジジイ、なにか俺に頼むつもりなのか。
「フィリピノ語はどこで勉強されたんですか」
「独学です。無趣味なんで、東京ではやることがないんです。それと、マニラで、ベッドの中での個人レッスン。もう授業料、たっぷりつぎ込んでいるんですよ。向学心に富んでいると思いませんか」
「そいつはいい。勉学、はかどりますよね。マン・ツー・マンですものね。私もその方法、取り入れようかな」
よく言うよ。心にもないことを言う。目的は何なんだ。一応、聞いてやるさ。でも、面倒くさそうだったら。空港で、はい、それま~でよといくさ。
「それなら、マニラでは、普通のフィリピン人と話ができますよね」
「ええ、込み入った内容でなければ」

俺は努力家だ。理想のフィリピン女性と仲良くできるよう、仕事以外の時間は、日々、フィリピノ語を特訓し続け、簡単な会話はできるようになっていた。その情熱には自分でも感心していた。女がからむとこうも違うのか、自分で自分に皮肉の一つも言いたくなる。とにかく、勉学というものは、目標がはっきりしていればはかどるものなのさ。
大学時代に入っていたESSで培った英会話力を併用すれば、フィリピーナとのコミニュケーションは何も困らなかった。
そういう俺を「フィリピンにはまっている」と周囲はこそこそ噂する。が、今では自分の方から「逆さ。フィリピーナが俺にはまっているのさ」とうそぶいていた。俺は偽悪者さ。その位置にあるのが一番心地よかった。


「実はお願いがあるんです。この手紙の女性を探し出していただけませんか。もちろん、謝礼を差し上げます」
きたきた。日本のフィリピン・クラブではまった女か。いい歳をして。本当、人間って、見かけによらないものだなあ。俺とたいして変わらないじゃないか。うれしくなった。同族のように思え、仲間意識が芽生えた。犯罪には関係していなさそうだし、一肌脱いでやるか。

「その女性、どういう方なのですか」
「実は、留学していた息子が、15年ほど前、マニラでつきあっていた女性なんです。半年前、妻とその息子を同時に交通事故で亡くしました」
「ご愁傷さまです。で、今になって、どうしてお探しになるんですか」
「息子と女性の間に女の子がいるはずなんです。中学生くらいだと思います。家族を亡くした喪失感。孤独と絶望。生きる気力をなくしていました。自分勝手でお恥ずかしい話ですが、息子の忘れ形見、孫にあたる、血の繋がった、その女の子にどうしても会いたくなって、居ても立ってもいられなくなり、今、こうして飛行機に乗っているんです」
「ご事情はわかりました。ご同行して、一緒に探しますよ」
「申し訳ないのですが、最初はお一人で行っていただきたいのです。二人の結婚に反対し二人の間を引き裂いたのは私なんです。勉学途上で、軽はずみに子供を作ってしまった息子を許せなかったんです。手切れ金を渡すから、息子と別れてくれと手紙を書きました。その際、孫を引き取ると申し出ましたが、あっさり拒絶されました。手切れ金も拒絶されました。プライドの高い女性のようです。その後、連絡が一切ありません。私の方も忙しさにかまけて忘れてしまっていました。先方は私のことを相当に憎んでいると思います。あれから15年。そんなこんなで、その女性には合わせる顔がないんです。息子を失って始めて、私はとんでもないことをしたとわかりました。自分の犯した罪の大きさに心から悔いています。ですから、先方には、誰が探しているか、絶対に悟られないようにしてください」
「で、その女性に会えたらどうすればいいのですか」
「息子が死んだ旨を伝えてください。どんな女性でどんな生活をしているか、また、孫娘もどんな子なのかも、教えてくださればそれで結構です。もう、新しい男性と結婚しているでしょうし、幸せそうならば、そっとしておいてください。生活に困っているようならば、宙に浮いた形の手切れ金を、わからない形で渡してほしいのです。ただ、本当に身勝手で虫のいい話ですが、冥土の土産に孫娘の顔だけはどうしても一度見ておきたいんです。そこのところの段取りをつけていただきたいのです。これも、絶対に悟られない形で、お願いします。謝礼ははずませていただきます」
なるほど、複雑な事情をかかえているんだ。心から気の毒に思ったさ。でも、これで、訪比一回分の費用は浮きそうだ。アルバイトのつもりで、この仕事、きっちり、かたをつけてやろう。なんだか、他人のプライバシーを探るというのも面白そうだし、にわか探偵になってやろう。久しぶり、わくわくしてきた。

「わかりました。それ、仕事として引き受けましょう。でも、私も貴重な遊びの時間を割くことになります。必要経費と日当3万円でいかがでしょうか」
「承知しました。よろしくお願いします」
「じゃあ、まず連絡用として携帯電話を買ってください。私は持っています。1万円以下で買えるはずです。一緒に買いにいきますよ。女の子との連絡用にも便利ですよ。もし、その気があったらですけれども」
「わかりました。ホテルで一段落したら、買い物、つきあってください」

ジジイの手紙の住所はパラニャーケだった。空港からはそんなに遠くはない。チップを多めに握らせたタクシーの運転手は目的の住所をすぐに見つけた。しかし、女はそこにもう住んではいなかった。運転手にさらにチップを上乗せして、引越し先を知っている女をなんとか見つけてもらった。二十代半ばの女が同乗した。
「ここからはタクシーではいけないわよ」
女の言葉にしたがって車から降り、狭い道をしばらく歩いた。引越し先は明らかに生活レベルの落ちている場所だった。仕事がないのか酔っ払っているのか、昼からぼんやりと油を売っている刺青をした上半身裸の男達。駆け巡る粗末な服装をした子供達。半裸に近いだらしない服装で話し込んでいる女達。漂う生活の匂い。トイレの臭気。よそ者の侵入に無遠慮な険悪な視線を送ってくる。その日その日の暮らしに追われている余裕のない生活が容易に想像できる。できることなら、来たくない場所だ。

女は今にも傾いて倒れそうな古い家屋の前に立ち止まった。
「コーラ、いる? アリスよ。あなたのお姉さんを探している人がいるわよ」
髪が寝乱れてままの、化粧けなしの女が欠伸をしながら不審そうにドアを明けた。ひどい姿にもかかわらず、よく見れば、美しい女だった。
「こんにちわ。日本から来た斉藤といいます」
「何の用?」
「こちらに、ジェニーさんという方いらっしゃいますか。あなたですか」
「姉は心臓を悪くして入院しているわ。姉とどういう関係なの」
怒気を含んでいるのがわかった。
「ちょっと、頼まれてきたんです。お姉さんの娘さんは元気ですか」
「何よっ!あんたに関係ないでしょ。誰かあ、誰か、来て!」
金切り声に近い声をを上げた。
とたんに、通りでたむろしていた男達が、4,5人、どっと隆志の背後に駆け寄ってきたのが、わかった。明らかに敵意に満ちた男たちの眼。女に好意を持っているのがすぐにわかった。女の言葉一つで袋叩きにあう。ぞっとした。小便をチビッた。

「ぼ、ぼくは頼まれて来ただけなんです。あ、あなたのお姉さんに渡してくれとお金を預かっています」
お金と聞いて、ちょっと顔が和らんだ気がした。ちっ、現金な女だ。
「そうね。皆の前で話すことじゃないみたいね。家の中に入って。アリスも一緒に」
隆志は、連れてきてくれたアリスという女性と一緒に足の踏み場もないくらいに乱雑に散らかった家の中に入り、壊れて傾いた汚いソファーに腰をおろした。この家の中の荒れようといったらなんだ。住む人の心の荒みが伝わってくる。
「ごめんなさいね。汚くて。普段は子供達だけが住んでいるの」
「いいえ、朝早くからから起こしちゃってごめんなさい」
「お金を預かったって、誰から預かったの?」
「それが私もよくわからないんです。飛行機で隣り合った日本人の紳士の方からあなたのお姉さんに会うように頼まれたのです」
「姉の昔の恋人は日本人なの。その人に頼まれた人なのかしら。でも、今、お金にすごく困っているの。本当ならうれしいわあ。怪しいお金じゃないわよね。姉の娘がちょっと問題を起こしているみたいなの。それと関係ないわよね」
ジジイから預かった封筒を紙袋から取り出す。大切なものは、くちゃくちゃの紙袋に入れて運ぶようにしている。
「そうそう、これ、とりあえず預かってきたお金です。5万ペソあるそうです」
「姉は、当分、病院から出れそうもないわ。姉には会えないわよ。実は、姉の入院費が払えず、どうしようか、困っていたところなの。これ、使わせてくれると、ものすごくありがたいんだけど」
「ちょっと、待ってください。依頼した本人に電話してみます」

ジジイに早速電話を入れた。すぐに出た。待っていたようだ。今までの経過を報告し、息子の元恋人が入院中であり、その娘が問題を起こしかけていると知ると、すぐにでも、元恋人の妹に会って詳しい事情を聞きたいと言う。

「この5万ペソ、お姉さんの入院費に使ってくださいとのことです。必要ならば、病気が回復するまで医療費は出すと言っていますよ」
「えっ、本当? その方、どんな人なんです。知らない方にそんなことされるなんて気持ち悪いなあ」
「これだけは言えます。あなたのお姉さんの昔の恋人は事故で亡くなったそうです。先方は昔の恋人をよく知っている方です。で、その方、あなたにすぐにでもお会いして事情を詳しく聞きたいと言っています。どうしますか」
「いいわよ。今夜、お店に来ていただけます。デル・ピラールの『ミュージックラウンジ・バタフライ』というお店です。『ホビットハウス』というライブハウスのすぐ近くです。場所、わかりますか」
「看板、見たことがあるような気がします。9時頃、伺います」
「遅くなりましたが、あたしの名前、コーラって、いいます。でも、お店では、エンジェルという名前で出ています。これ、お店の名刺です」
「それから、もう一つ。できましたら、お姉さんとお姉さんの娘さんの写真を一枚でも、持ってきてきていただけませんか。先方のジジイ、失礼、かなりお歳を召された方なんです。是非見たいと言っています」
「わかりましたわ。どうして、写真なんか、見たいたいのかしら」
「ジジイのこと、私もよく知らないのです。あなたが直接にお聞きください。変な方でありませんから、ご心配なく。会えばすぐわかりますよ」
「ごめんなさい。飲み物もさしあげず。今、持ってきます。あら、あたし、ひどい格好。恥ずかしいわ」
心が和んできたようだ。それと同時に、寝起きのままの格好だと気がつき、あわてふためいている。かわいい。俺好みの美人だ。
「バタフライ」に毎日通い詰めるようになるとは、この時点ではまだ予測できなかった。


『ミュージックラウンジ・バタフライ』はすぐわかった。
日本人の客を対象にした、美形のホステスを集めている、カラオケを歌えるクラブだった。マネージャーが日本人で日本語が通じる。日本語を話せるホステスも多い。
ジジイと連れ立って、お店に一歩入ると、「いらっしゃいませ」の声がいっせいにかかる。
エンジェルと指名すると、程なく、コーラがやってきた。
驚いた。綺麗なドレスを着て妖艶な笑みをたたえて挨拶する優雅な女性はお昼とまるで別人。お仕事モードに入っている。同一人物か、しばらくの間、疑ったほどである。初対面との格差が大きすぎる。
「いらっしゃいませ。エンジェルです。お待ちしていました」
「えっ、君、本当にコーラ? 信じられない。内野さん、こちら、コーラさんです」
「始めまして。内野と申します。お美しいですね。驚きました」
平静を装っているが、緊張が伝わってくる。膝の横を指でやたら叩いている。

「エンジェルさん、あなたのお姉さん、病状の方はいかがですか」
「一進一退のようです。お医者さんが言うには、しばらく、ゆっくり休養するのが一番なのだそうです」
「医療費は私がお支払いします。ちゃんとした医療を受けさせて、ゆっくり休ませてやってください。お姉さんの昔の恋人が事故で死んだのはお聞きになっていますよね。私はその知り合いのものです」
「わかってますわ。おじいさん。一目見てわかりました。死んだのはあなたの息子さんだって。だって、あなたの口元と目元、クリスにそっくりなんですもの。クリスのおじいさん、これ、姉とクリスの写真です。ご覧になってください」
「そうですか。ありがとうございます。こちらがお姉さんですか。あなたに似て、お綺麗な方ですね。息子が好きになったのがわかります。こちらがクリスですか。可愛いなあ。私にそんなに似ていますか。うれしいなあ。叫びだしたいくらいです」
ジジイは食い入るように写真を見て凝固している。何を思っているのだろう。他人の心の中まで入ってはいけない。でも、この仕事を引き受けてよかったと心から思っていた。
「あなたがクリスのおじいさんだってこと、証明するものが何もなくても信じますわ。姉もあなたに一目会えば、あなたが誰かすぐわかります。あたし、姉の性格を知っています。姉はあなたのことをけして許さないと思います。あなたからお金がでていると知ったら、姉は怒り狂い、お金を受け取ることを拒否します。でも、現実問題として私達にはお金がありません。私は姉を助けたいです。そのために私は姉に嘘をつきます。お金は、あなたの息子さんからのものということにしていただけますか」
「もちろん、結構です。実際、息子はかなりの預貯金を残しています。それはそのままクリスの養育費、学費にあてていただこうと考えていました。お姉さんさえ許していただければ、私はクリスが一人立ちするまでスポンサーになるつもりでいます」

ジジイの方は、一件落着のようだ。ジジイは愛しい人にまもなく会えるだろう。
だが、俺の方に新しい問題が生じていた。
俺はコーラにグイグイと魅かれ始めていた。さっきから、コーラの顔をずっと眺め続けている。それを感じて、コーラはなまめかしい微笑みを返してくる。しとやかであでやかな立ち振舞い。魔法をかけられてしまった。熱病に侵されている。
他の女の子のことは完全に頭の中から消えてしまった。俺は、マニラにいる間、毎日、この店に通うだろう。
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by tsado4 | 2007-10-18 09:55 | (創作)蘭園の告白

蘭園の告白(その2)

  ・・・・・・・2・・・・・・・
ロハス・ブルバードをはさんでアメリカ大使館に対面した辺りにスターバックス・カフェがある。
旅行者風情の欧米人。韓国語を話す若いグループ。こざっぱりした服装だが少し危険な匂いを漂わせるフィリピン人の男女。店内は八分通り埋まっている。昼下がりにしてはなかなかの盛況。
午後3時。隆志は約束の時間にお店に入った。
驚いたことにコーラはすでに座っていた。備え付けの新聞に所在なげに眼を通している。嘘だろう、フィリピーナが待ち合わせに約束通り来ているなんて。
好意的に言えば時間の制約から解き放たれている自由で鷹揚な気質、悪く言えば時間にルーズでノウテンキな気質がそうさせるのか、それとも、フィリピン女性特有の見栄や駆け引きがそうさせるのか今だわからない。が、1時間くらい待たされるのが普通だった。時間を守るという約束事がほとんど重視されていない。だから、時間通りに来ているコーラを見たとき、隆志の中で予感が走った。胸がときめいた。今日は違う。何かが起こる・・・
ゆっくりとした時間の流れを基調とする異空間の文化を劣っていると軽率に判断するほど、隆志は無知な愛国者でも厚顔な文明人でもない。
「待った?」
「いえ、少しだけ」
「君って変わっているね。フィリピーナを待たせたのは始めてだよ。今日は記念すべき日だ」
「あら、あたし、時間をあんまり気にしなかっただけなの。よくあることよ。不満なの? じゃあ、今度はたっぷり待たせてあげるわ」
「いや、そいつは結構。願い下げだな。お腹すいてる? 外で何か食べるかい」
「いいえ、食べたばかりなの。すいてないわ」
「じゃあ、お願いがあるんだけど・・・」
「えっ、なあに」
「ちょっと暑いけど、外を散歩しないかい。リサール・パークって、まだ行ったことがないんだ。ガイド代、払ってもいいんだぜ」
「あら、私を観光ガイドとして使おうなんて勇気あるじゃない。すご~く高いわよ。でも、あなた、優しいから、今日はただにしてあげる。スペシャル・サービスよ」
「あんがと。涙が出てくるよ」

人と駐車中の車で混雑するロハス・ブルバードの側道を北に歩き、カラウ・アーべニューを横切るとそこはもうリサール・パーク。リサール記念像の前では、群れをなして韓国か台湾の観光客が写真を撮っている。これは好機とばかり、隆志もポケットからデジカメを取り出す。
「一枚、撮っていいだろう。君の美しい顔を東京でも眺めていたいんだ」
「あら、写真がないと私のこと思い出せないのね」
「俺って、想像力に乏しいんだ。寝る前には、写真を眺めては君のことに思いを馳せるんだ。いいだろ」
「本当ね」
「にっこり笑わなくてもいいよ。君の自然の表情を撮りたいんだ」
「何よ。じゃあ、思いっきりきつい顔をしてあげるわ」
カメラを見据えてくるまじめくさった顔も微笑ましい。

漆黒の潤んだ大きな目、やや大きめの形の良い鼻、きりっとしながらも今にも笑みのこぼれ落ちそうな口元。
夜の薄暗い照明の下でのどこか悲しげで官能をくすぐる表情には魅了されていた。が、時折、その表情の奥に、頼りなさ、脆さ、あきらめといったものが渾然と入り混じった翳りを垣間見る。何時まで眺めていても見あきなかった。
この女のことをもっと知りたい。白日の下で素顔を見てみたいという欲求にかられていた。神秘ののベールを剥がしてやるんだと意気込んで、半ば強引にこうして外に連れ出してきたのだ。
美形には変わりなかった。が、思った以上に色黒で健康的に見える。
あら隠しのできない太陽光の下でも美しいということは、どこにいても美しいんだ。血管に血流がどっと流れるのを感じた。

夜とは印象が違う。性格の明るさ、人柄の良さといった予想外の資質も伝わってくる。
いろんな顔を持った不思議の女。昼の光は神秘の女の妖艶さを弱めはしたが、現実の女の逞しさをクローズアップした。
隆志は惚れ直した。俺が求め続けたのはこの女だ。俺が今まで独身でいたのもこの女のためだ。
確信した。もうためらうものは何もない。どんなことをしても、この女を手に入れる。

リサール記念像の左の道を通り、公園の中ほどにある芝生の広場を進む。
暑い。ギラギラと照りつける陽光の中を歩いている人はほとんどいない。
たちまち、汗が噴き出てくる。
「ごめん。こんなところ、歩かせちゃって。はい、ハンカチ」
「ありがとう。気がきくのね」
首と額を拭って、返したきた濡れたハンカチを鼻先にもっていき、クンクンとわざとらしく嗅ぎ目を細める。
「うわっ。たまんねえ。いい匂い。卒倒しそう。ビニール袋に入れて日本に持って帰ろうかな」
「ばあか。エロいのね」
「そうさ、思いっきりエロいんだぜ。がっかりした?」
「フン、男なんて皆エロいわよ」
澄み切った青空。吹き渡る風にたなびく色とりどりの旗。ピンクや白の美しい花の咲き乱れる水辺。
二人して冗談を言い、顔を見合わせ見合わせ歩くと、ぎこちなさもすっかり消え、打ち解けた心になっている。
太陽が半端でなく照り付けている日中は当然のことながらベンチに腰掛けている人はいない。
「こんな素敵な陽光が降り注いでいるのに、誰も浴びようとしないなんて、日本では考えられないな」
「好き好んで色黒になろうなんてするフィリピン人はいないわよ」
「東京では、日焼けサロンというところで、お金払ってガングロになるんだぜ」
「ガングロって、なあに?」
「顔の色の黒いこと」
「じゃあ、あたしって、ガングロなの?」
「うーん、だよな。でも、日本のガングロよりはずっと上等で品がある」

コーラにさりげなく手を出すと、躊躇することもなく、握ってくる。血管の中で血液が沸騰した。
女の子と最後にこんな風に散歩したのは何時だったか、思い出せなかった。

公園中央のマリア・オロッサ・ストリートを渡ると、右手にラプラプ像が遠望され、左手の煉瓦造りの門の上方に「THE OCHIDARIUM」と書かれている。
「ここ蘭園だよね。蘭の花って十万種以上あるんだってね。色鮮やかで造形がユニーク。華麗でかつ繊細。素晴らしい香り。友達に蘭中毒がいてね。自分でランチュウと言っているんだけど、はまったらやめられないそうだ。入ってみない?」
「そうね。あたし、よく知らないけど・・・ いいわよ」
入場券を買い、入口から続く花のアーケードの下を進む。
庭園の小さな滝の前に来る。
「オーキッドの花言葉って、知っている?」
「いいえ、知らないわ」
「君みたいだね」
「えっ、何なの?」
「蘭の花言葉は美女だそうだよ」
「あら、嫌だわ」
「感じていてくれたと思うけど、僕は君が好きだ。好きだ。好きだ。死ぬほど好きだ。この突き抜ける青い空くらい君が好きだ」
平凡な言葉でも、繰り返しは女の子を喜ばせる。
「うれしいわ」
「君は蘭の化身なのかな。美しくて良い匂いがする。僕は完全に蘭中毒、いや、君に中毒になってしまったようだ。はまったらやめられないんだよな。もう君なしでは生きられない。できるなら、このままずっと僕のそばいてくれたらなあと思っているんだけど・・・・。僕じゃ、嫌かなあ」
「そんなこと、な・・」
顔を赤くしているコーラを、背骨が折れそうなくらい抱きしめてルージュの剥げかかった乾いた唇に軽くキスをする。
「俺、カレッサのように、目の周りに覆いを作り、他の女には見向きもせずに、君を乗せて突っ走るよ」
「あら、本当?」
「目隠しなんか必要ないか。他の女性なんか君に比べたら、しおれた花さ。道端の名もない雑草さ」
「あら、まあ」
「ねえ、二人で僕達の物語を作っていかないか。最高の特別の愛の物語をね」
「うふっ、反対なんてできないわ」


  ・・・・・・・3・・・・・・・
滝の前を離れ、ほてった心のまま再びゆっくり歩き出す。
丈の短いファッショナブルなデザインの薄紫のTシャツにジーンズ生地のホットパンツ。肌があらわに出ているコーラの腰に手を回す。はちきれるような弾力と適度に湿ったぬくもり。官能を刺激する。
スキンシップは心の距離を近づける。シダの垂れ下がったなだらかな小道を上りながら、隆志の心の中はまたしても予感がうごめく。俺はこういう状況で失敗することが多い。落ち着け。落ち着け。

坂道を上り切ったところにバタフライ・パビリオンがある。入口にはドアがなく、鉄の細い鎖が十数本、暖簾のように地上20センチあたりまで垂れ下がっているだけ。外気と室内の空気を遮断するものはなのもない。蝶を外に逃さないためには鎖の暖簾だけで十分らしい。
中は温室のようにむっとしている。足元には水が流れ、咲きそろった小さな花の周りを小型の蝶が群れ飛んでいる。
「ね、ねえ、隆志、蝶々のこと、フィリピノ語でなんて言うか、知っている?」
「いや、知らないな」
「パルパロって言うのよ。それからね。女好きのプレイ・ボーイもパルパロって言うの。花から花へ美味しい蜜を求めて遊びまわるからよね。私の元彼、皆パルパロだったの。ハンサムで若い男ばかりだったから仕方なかったのかもしれない。けど、それにしても、私って、つくづく男運がないのよ。好きになった男は例外なくパロパロ。捨てられる軽い女を演じてばかり・・・。好きになったら尽くすタイプなのよ。可愛そうだと思わない? 私って独占欲が強くプライドが高いの。最初に惚れ抜いてつきあった男、刺しちゃったのよ。他の女といちゃついている彼を許せなかった。気がついたら刺していたわ。血を見て始めて正気に返ったの」
「怖いなあ」
「私はフィリピーナ。プライドは高くてよ。フフフ、覚悟しておいてね。私、パルパロ、もう絶対に許さないから。裏切ったら殺すわよ」
眼が本気だった。背筋を戦慄が走った。同時に快感も。人間の感情は複雑だ。一筋縄でいかない。理屈で説明できない部分がある。
「君のためなら死んでもいい。いや、君になら殺されてもいいぜ。カマキリのメスは交尾の後にオスを生きたまま喰うらしいね。君に喰われて本望さ」
正直な気持ちだった。惚れ切った女になら殺されてもいい。刺されると考えるとゾクッと身震いがした。気づかなかったけれど、俺って究極のマゾヒストなのかもしれない。隆志はぼんやりと考えていた。

「日本では、君のように夜のお店で働く女性のことを夜の蝶と言うんだぜ。君こそ男達の間を華麗に飛び回るパルパロじゃないのか」
外部と内部を分け隔てるノレン状の鎖に思いをはせ、ある考えに行き着いた。
コーラを自分の手元から絶対に逃したくない。それにはがっちりと隙間なく遮断するドアよりも鎖を垂らしておく方がよさそうだな。俺は女性を完全に支配しようとして失敗してきたような気がする。
前に立つコーラの後れ毛から醸し出るほのかな香水の匂いと熟し始めた女の匂い。
くらっとした。たまらない。もう完全にお前中毒だ。

コーラはむきになってしゃべり始める。
「そうよ。私はパルパロ。夜だけじゃなく、昼間も自由に飛び回るの。自由よ。私、誰の物にもならないわ。私を束縛しようと思ったら大間違いよ」
振り向くと、手をヒラヒラさせて、辺りを走り回っている。子供だ。20歳を過ぎた女のやることか。
蝶の写真を撮ろうとしていた隆志はあっけに取られてしまった。
洗練した成熟と幼児性の混在。その危うい意外な組み合わせも限りなく愛おしくなっていた。
さっきまでつまらなそうにしていた。でも、今はいたずらっぽい笑みを浮かべて夢中に飛び回っている。こんな顔もするんだ。また少し彼女のことを知った。お店の顔からは想像できない。さらに心の距離が近づいている。ホステスと客ではなく、対等な女と男として向かい合っているような気がした。

パビリオンの中は丈の高い草むらになっていて小途が迷路のように入り組んでいる。
いつのまにかコーラは茂みの向こうに消えていた。しばらくして草むらの奥の方のでしのび笑いが聞こえる。
今度は隠れんぼか。よ~し、遊んでやろう。なんだか遠い子供の頃に返ったようで素直な懐かしい気持ちになっている。
あわてふためいてやる。
「コーラ、コーラ、どこだよう。君がいないと寂しいよう」
見通しのいいところでじっと待つことにする。やがて動いてくるさ。
いた。いた。単純だ。すぐに動いてくる。後ずさりしてくる身体を後ろからいきなり抱きすくめる。
左手で下腹部を押さえ、右手で口を押さえる。
「声を出すな。静かにしていれば、命は助けてやる」
「うっ、く、苦しいわ。やめてえ。ゴメン・・許してえ」
「俺の言うとおりすれば、許してやるさ」
右手で顎を後ろにむけ、強引に唇を奪う。
「ムムム・・、バカア、苦しいってば」
言葉とは裏腹に背中に回った手に力が込められ、舌を吸い寄せてくる。思わぬ逆襲。
情熱的だ。可愛い。こいつのキスはなんて気持ちがいいんだ。隆志は恍惚となる。

そのまま後ろから腰を抱いていると、タイタニックの映画の姿勢で、体重をあずけ手をバタバタ扇ぐ。
なんだい、この女。蝶の真似か。弾力のあるお尻が敏感な部分にあたる。こすられる。
下の方で突き抜ける熱い衝動。ムラっとする。まずい、まずい。真昼のうずき。
こちらのほてりなど関係なく続ける。
「飛ぶわ、飛ぶわ。私は未来へ向かって自由に飛びつづけるわ。あなたは疲れ切った私の休息の場よ。それでも良い?」
意味がわからない。自分勝手で自由奔放な女だ。この女と付き合うと振り回されるのは目に見えている。まあ、いっか。よしや、コーラの休息の場でも、コーラのおもちゃにでもなってやろう。
「いいよ。僕は君の根拠地だ」
果てないながらも、うっとりとする余韻。


隆志の脳裏に鮮明なフラッシュ・バック。
にきびの吹き出た高校生の初夏。鬱屈した青春の真っ盛。予備校の夏期講習へ向かう中央線の極限まで人を詰め込んだ通勤電車。
身動きできない状況で前のOLの薄着の尻の割れ目に具合よく敏感な部分が当たる。無意識に望んでいたのかもしれない。が、俺のせいだけでもない。気づいたときは願ってもない位置関係。鼻先の女の頭髪から立ち上る臭気の入り混じった濃縮した女の匂い。嗅覚が刺激される。荒い息遣いを必死でこらえる。電車の揺れに応じてだんだん怒張していく。健康な若者なら自然の反応。まだ女性の経験はなかった。快感と罪悪感の奇妙なバランス。
女は電車を降りるとき、無感情に小さな声で履き捨てるようにつぶやいていった。インテリ風の小顔のいい女だった。
「いやらしい・・・」
聞こえたのは多分俺だけだった。が、恥ずかしさで顔面がスパーク。
自分の中に潜む抑えがたい好色の素質には気づいてはいた。が、認めるのがこわかった。
いやらしい、いやらしい、いやらしい、三半規管の奥でこだまする。
傷ついた。そうさ、俺はいやらしい男。破廉恥な好色男さ。開き直った。認めてしまえば、気が楽になった。

女の気持ちは察しがつかなかった。あれは痴漢だったのか。限りなく灰色。あれが痴漢として断罪されるなら法は多分真実を裁いていないと、隆志は今でも思っている。
背徳の甘美な快感。さなぎを脱ぎ捨て羽化する瞬間だったのかもしれない。
勉学に勤しむ生真面目な高校生という自己規制から開き放され、情欲に正直な女好きの遊び人へ。
あの女の言葉は的確な予言だったようだ。20年以上たって、眉をひそめられ、軽蔑の目を向けられても、買春をも平然と行う堂々としたいやらしいパルパロに成長していた。

「痴漢は卑劣な犯罪」というヒステリックな言葉を耳にする度に、隆志はトラウマとなっているのか、腹立たしさの方が先に立つ。物事の多面性を吟味もせずに、一面的に判断する姿勢。自分達のみが健全な思想。自分達以外の考え方、行動様式を一切認めようとはしない傲慢なモラリスト達、それに追随するマスコミ。ファシズムじゃないか。
と自由人の遊び人を自負する隆志はついつい考えてしまう。
法律は守らなければならないが、すべてではない。好色者と変質者は違う。
自分は社会の常識、通念からはかなり外れているようだが、やっていいことと悪いことにはきっちり一線を引いているつもりだ。
確かに紛れもない遊び人だ。が、痴漢とか児童買春等の変質的で反社会的なものだけは絶対に手を出さない。
放蕩男としてのけじめさ。


パビリオンを出て心を落ち着かせ、二人で蘭の花を見て廻っていると、陽も陰ってきた。
「お腹、すいてきたなあ」
「そうね。あたしも」
蘭園中央にある海鮮レストラン「BARBARA」に入る。
おしゃれなインテリアの室内。上品な味のシーフードを食べながら赤ワインを傾ける。コーラの目の周りがほんのりと染まっている。テーブルの下で彼女の手にそっと手をおく。
「僕の計画を少し話してもいいかい?」
「ええ、な~に?」
コーラの手をきつく握り、
「近い将来、僕達の間に君にそっくりなオーキッドベービーを作りたいんだ」
「まあ、そんな、あたし・・」
「女の子が生まれたら、その子に蘭(ラン)って名前をつけるのが僕の夢になったんだ」
彼女も握りかえしてくる。
「不思議だわ。私も同じような気持ちだったの。その夢、協力しちゃおうかなあ」
「ワーオ」
「あなたって、タフで、激しくて、情熱的で、とても頼りがいがある。好きだわ」
彼女、顔を赤くしている。ワインのせいばかりではない。昨夜の情熱的な出来事を思い出したらしい。
「あなたの顔って、野性的で、個性的で、とても素敵。私、とても好きよ。でも、ハンサムじゃないわ。女の子、あなたに似ているかもしれないわね。どうする?」
「そうか。そういうケースもあるか。想定外だな。うーん。そのときもやっぱしランでいくよ。日本語の漢字は少し違うんだけど、乱という字でね。
ちょっと乱れちゃったものな。大きくなったら、きっと男共を狂わせるぞ」
「よくわからないわ。ねえ、で、男の子が生まれたら、どうするの?」
「そうか。そういうケースもあるか。想定外だな。そうだなあ。蘭丸にしようか。美少年になるぞ。でも、なんだかホモになりそうだなあ。まあ、いいっか、僕は進んでいるんだ。そんなことに差別意識は持ってないんだぜ」
隆志は、ワインの酔いだけではない酔いで、頭はボッとしているのに、口が勝手に滑らかに回ってしまう。
この女に中毒になると、饒舌になるという症状があるようだ。




  ・・・・・・・4・・・・・・
午後8時を回った。
レストランの外はもうとっぷり日が暮れている。
蘭園を出ると、左手にライトアップされたラプラプの像が木々の間に屹立している。来た道をゆっくりと引き返す。人通りはまだ昼間とさほど変わりがない。
が、気のせいか、コーラが身を硬くしているのが、絡めた汗ばんだ指の間からから伝わってくる。
ジープニーが行き交うマリア・オロッサを渡ると、明るく灯を点した売店が道路に沿って並んでいる。広がった薄暗がりの芝生の上で恋人達が囁きあいハグしキスしている気配が感じられる。
突然、コーラが歩みを止めた。外灯の薄明かりの下で、隆志の両手を堅く握って、向き合ってじっと眼を見つめてくる。訴えかけるような表情。意を決したように口が開かれる。
「さっきのお話、とてもうれしかったわ。でも・・・、私、言っておかなければならないことがあるの」
「なんだい。怖いな」
向けていた視線を下に落とす。魅力的な長いまつげがかすかに震えている。
「実は、私、3歳の女の子がいるの。ジーナって言うのよ」
「・・・・・・」
きた。覚悟はしていた。
魅力的なフィリピン女性なら二十歳前後で子供が一人くらいいるのは珍しくもなんともない。
コーラの漂う色香。男を扱いなれた所作。十分に男を知っているのはわかっていた。ひときわ目立つ憂いを含んだ大きな眼。彫りの深い整った顔立ち。出るところは嫌味なく出た引き締まったスレンダーな姿態。男共が黙って指を加えて見逃すはずがない。ハイティーンでのハンサムな男との恋。そしてお定まりの結末。想定内だ。
「隠すつもりはなかったけれど、出会って早い時期に言うことでもないわよね。でも、もう言わないわけにはいかないわ。こんな私、受け入れられて?」
「う~ん、そうか。ちょっと心を整理したい。少しだけ時間をくれないか」
近くのベンチに腰をおろす。心は決まっていた。が、考える振りだけはしなくては。
「父親って、どんな男? 一緒に暮らしているの? 今も一緒にいるなら、それはちょっと無理だな。君のためにもこれ以上深入りしたくない」
「私、男なんて選り取り見取りだったわ。ジーナの父親は最初に死ぬほど好きになった男よ。そう、私が刺して一緒に死のうと思った男。ハンサムで背が高くて目が綺麗で優しくて女の子ならほっておけないタイプの男よ。私達、人も羨む、最高のカップルだったわ。ジーナを18歳で生んだの。でも、もうとっくに別れているの。どこにいるかもわからないわ。未練が全然ないと言えば嘘になるけれど、もう一緒になることは絶対にないわ。それくらい傷つけられたし憎んでいるの。向こうも私以上に私を恨んでいるわ」
「そうか。今の俺にはうれしいな」
「心の空白を埋めようと、その後、何人もの男、いや二桁の男かな、とつきあったけれど、だめだった。荒れた生活を送っていたの。亡くなった母に迷惑をかけたわ。今はジーナが生きがい。私の宝物。ジーナを受け入れてくれない男とはつきあえない。こういう私を愛してくれて?」
お金だけが目的なら、こんなことは言わないだろう。本気でつきあうつもりだから言い出したのだろう。相変わらず自分に都合よく解釈した。己の甘さを封印し、腰にまわした両手を強くひきつけて耳元に囁くように即答していた。
「君の子供は君の分身。君と同じように愛するのは当たり前だろ。ジーナっていう子に早く会いたいよ」
「よかった・・・・。ほっとしたわ」
薄暗くてよくわからないが、瞳が濡れているようにも感じられた。身体が小刻みに震えている。
ただうれしさだけではない何か他の感情に突き動かされているようにも思えた。

「いろいろ、あったの。半年前、ジーナをみてくれていた母が癌で死んだわ。続いて、私を精神的に支えていてくれた一番上の姉が心臓病で倒れてしまったの。私、パニックになったわ。精神状態、ずっとおかしかったみたい」
「苦労したんだね」
「私の夢は、つつましいのよ。食べる物と住むところがあり、愛する人達と仲良く暮らすことなの」
「僕の夢も、凡なる幸せ。大きな成功なんか求めていない。平和で温かな日常生活。君と同じじゃないかな。気が合うじゃないか」

コーラ。
私好みの容姿。気が強くて明るい性格、穏やかで落ち着いた物腰。
存在そのものが癒し。
僕が望んでいるものをすべて具備している。

君こそ待ち続けた人生のパートナー。具象化された希望。
傾き掛けた人生でやっと見つけたダイアモンドの原石。
慈悲深い神様がお与えてくださった奇跡。
いい加減な生き方と決別する最後のチャンス。

この女のためなら、どんな代償を払ってもいい。
彼女となら、うまくやっていける。
根拠はないが確信はある。
怖れることなく前へ突き進むだけ。
自分のの未来は自分で切り開く。
破滅が待ち構えていても後悔はしない。

見上げれば満天の星。前方に浮かびあがる電飾されたマニラホテル。
その右上方に満月が怪しく輝いている。
潤いのある日々はすぐそこにある。人生のターニング・ポイント。我が最良の日。

隆志は感動した。頬を伝わる涙は拭うのも惜しかった。
放蕩男はロマンチスト。涙がよく似合う。
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by tsado4 | 2007-10-18 09:54 | (創作)蘭園の告白

蘭園の告白(その3)

    ・・・・・・・・・5・・・・・・・・
コーラのお店「ミュージックラウンジ・バタフライ」に同伴出勤する予定だった。カラウ・アーべニューの車の流れの途切れを待ちながらながら言った。
「コーラ、ご免。今夜は君のお店に行く気持ちになれない。君のことや僕のこと、二人の将来についてじっくりと考えてみたいんだ。いいだろう」
「そうね。その方がいいかもしれないわね」
デルピラール・ストリートの彼女のお店に行く途中に「ホビット・ハウス」というライブハウスがある。睡眠薬代わりに軽く飲んでいくことにする。ライブハウスの円形の扉の前で、コーラの肩を両手で固く挟んで抱く。
「明日はお仕事、お休みだったよね。早速、君のジーナに会いたいな。できるかな?」
「多分、大丈夫よ」
「お昼前、電話する。じゃあ、また明日ね」
「お休みなさい。あまり飲まないでね。早く帰るのよ」
廻り始めた運命の歯車は、予想を超えた速度で回転し始めている。加速度がついていた。あまりの流れの速さに不安を抱いている自分と気持ちの昂ぶりに浮かれている自分が同じ自分の中に同居している。隆志は混乱していた。客観的で冷静になる必要がある。

ステージでは、中年の女性歌手が身を反らせマイクを振りかざしてシャウトしていた。カウンターに座ってサンミゲール・ビールのドラフトを注文する。ビールをゆっくり味わいながら、今日、起こったことを思い返す。予感は的中した。運命の赤い糸という古臭い言葉が思い浮かぶ。
今夜のビールはやけに喉頭に沁みやがる。
カウンターの斜め向かいから、その筋の女性が流し目を送ってくる。微笑みながら手で制する。いつもならギラギラと好色な興味を示すのに、今夜は余裕だ。心に波打つものが何もない。
女性歌手の魂を揺さぶる迫力ある歌唱。闘ってきた齢の分だけ深みを感じさせる。嫌なこともつらいことも悲しいことも楽しいことも皆、忘却の彼方・・。俺も闘ってきたさ。
ステージが二重に見える。瞳に涙が滲んできているらしい。
俺は自分が思っている以上に感傷的な男なんだ。チッ。

・・・・・・・・・・・
俺はいわゆる面喰いさ。
顔立ちとスタイルとセックス・アピールで女性を判断する。何か悪いかい。何か不都合かい。
生活がだらしなくとも気にしない。知性に欠けていても全く構わない。
俗にいう軽い女、乱れている女、大好きさ。身持ちの堅さ、真面目さを看板にしている女よりもよほど性に合う。
女の子を選ぶ上で、外見的魅力と性的魅力が、妥協できない絶対的な要素なのだ。
蓼喰う虫も好き好きやろ。他人の嗜好に文句をつける筋合いはないぜ。
    
女性を判断する世俗の陳腐な道徳的基準なんか糞食らえさ。純潔を保持する。貞操を守る。笑わせるな。そんなシーラカンス的な観念、支配者どもが自分達の都合で生み出してきた「女性を支配しておく意識の上の貞操帯」じゃないか。貞操とか純潔とかいう言葉は、社会の真ん中あたりの階層にいる人間、つまり、何かしら守るべきものを持っている人達が好んで口にする。深く考えようとしない女ほど、そんな観念を後生大事に身につけて安心している。上の階層でも、自立した女、考える女、自信のある女達はそういう自分で自分を縛るような観念を馬鹿にし拒絶する。下層階級の女性達は、たとえ教育がなくとも、本能的にそういう観念の欺瞞を見破っている。

日本は富める者と困窮する者に二極化し始めているている格差社会に向かっているって。とんでもない。俺的偏見で言わせてもらうと、貧富の差の前に、異性選択におけるカースト制度はもうしっかり確立されてしまっている。異性を選ぶ上では、容姿、学歴、仕事、収入、将来性などが細かく点数化され、ヒエラルキーが強固にできあがっている偏差値社会。それが日本の実情さ。その位階を飛び越えることは容易でない。暗黙のルール、了解の下で、男と女は釣り合いのとれたカップルが誕生する。それに妥協できない男も女も弾き飛ばされ、独身として取り残される。俺みたいにな。

俺のような平凡で不細工な男が、人目を引きつける美しい女を獲得しようとすると、よほどの金持ちであるか、将来が約束されたブランド職種に属していなければ、宝クジを買うようなもの。千載一遇のの強運を祈るだけ。
だから、身分相応な女を選ぶように妥協を迫られる。だが、俺は頑固だった。女の容貌・容姿だけは妥協せずにこだわった。
俺にとっては、そこで妥協することは、精神的に自殺することと同じだった。この強固な男女選択におけるカースト制度を乗り越えてやる。挑んだ。挑んだ。挑んだ。そして、絶望した。

犯罪に走って、大金を掴むという誘惑にも誘われた。が、その領域には踏み込まずにすませてきた。
親父は釣りと囲碁が趣味の堅い地方公務員。保険会社に勤める姉が一人。絵に描いたような平凡で退屈な4人家族。
面白くもない日常を静かに平和に暮らしている、典型的な小市民的生活。
そんな家族を悲しませることだけはできない。それが家族に対する最低の仁義だった。
そして、俺はというと、可もなく不可もない中堅どころの私立大学を、これまた可もなく不可もなく卒業。現在、上場会社の現場の技術員。なるべくまとまった休日を取れる部署への配置転換を希望し実現し、そこでの仕事はきっちりとこなし、仕事仲間からの信頼は篤いと思っている。

俺が二十代で同棲していた女は俺が出世の見込みがないという理由で離れていった。女は現実的な動物と思い知った。落ち込んだかというとそうでもない。落ち込むほど好きでもなかったし、これで自由に遊ぶことができる、束縛から解放されたと、逆に胸を撫で下ろした。

三十代は、仕事に打ち込んだ。そして、遊んだ。はるかにいい女を娶って、形の上では俺を捨てた女を見返してやると誓ったものの、齢を重ねるに連れて伴侶獲得レースの厳しさ、難しさが身に沁みる。次第にレースに敗北のムードが漂い始める。焦りを感じ始めていた。
でも、俺は頑なだった。どんなことがあっても、いわゆる見栄えの良い女にしか惚れなかったさ。結果は言わずもがな。ことごとくリングに沈められゴングがなった。
始めのうちは名誉ある敗北者で済んだ。やがては惨めな敗北者となりプライドがずたずたに打ち砕かれた。持ち前の敢闘精神でファイティング・ポーズはとったものの、その度ごとにダメージを金属疲労ののように蓄積した。何時ポッキリ折れても不思議はなかった。

四十代に入ると開き直った。経済的に少し余裕もでき、俺好みの女性とつきあうために、稼いだ金の大半を費やして水商売の女性と擬似恋愛を愉しむようになった。キャバクラに、外国人パブに通いつめるようになったのも、二月に一回ほど、国家間の経済格差を利用してフィリピンを訪れるようになったのも、この流れに沿ったもの。俺の中では必然的な流れだった。ほかに使い途がなかったから、使った金はもったいなくはなかった。
連れ合いをもらい家族を作るという選択肢はあまり考えないようにしていた。
国外に踏み出してしまえば、何のことはない。絶望に一縷の望みが湧いてきたさ。
国の間の格差を利用して自分好みの女と付き合って何か悪いかい。やましいことは何もない。日本でも、昔からずっと東北等の貧しい地域の女性達が水商売に従事していたのは変わりない。水商売の世界もグローバル化しただけのこと。客もボーダーレスに動くのも時代の流れさ。

俺は本質的には真面目人間。親父のDNAを受け継いでいる。ただ持ち前の反骨精神から、女好きの遊び人を偽悪ぶって演じ続けてきた。四十も半ばにもなると、偽悪者として行動するパターンにも疲れていた。刹那的快楽を愉しむ。若いときは、下卑た言葉で言うと、「やれれ」ばよかった。「やれ」ば人と結びついていると感じることができた。が、五十歳を目前にした今は、「やる」だけでは満たされぬ何かを感じ取っている。将来への漠然とした不安と結びついている何か。生き方を変えなければならないと思い始めていた。
閉塞感という牢獄の囚われ人となってしまった。
もう哀しきクラウンを演じることに終止符を打とう。でも、何時、どんな形で。それが問題だった。今までの自分の信念と張り通した意地と仲良く折り合うことのできる形と理由づけが必要だった。

俺は仕事仲間には個人的なことを極力言わないようにしている。が、秘密はどこからともなく漏れるもの。性悪のフィリピン女にはまっている。騙されて金を巻き上げられていると陰口を叩かれていたのも知っている。皆、憶測だけで、悪意に満ちた固定観念だけでものを言っている。実際には何もわかっていないくせに。
どう思われても関係はないさ。俺が望むものが手に入りさえすれば。
打算と自己主張の強い女達にはうんざりしている。日本の女は怖い。もはや強度の日本の女性恐怖症だった。

舞台の女性シンガーはアップ・テンポからスロー・テンポに曲調を変えた。ジョッキでビールを飲みながら退廃の雰囲気を漂わせ、哀しみを置き去りにするかのようにと歌い続ける。皮膚はたるみだしているものの、その整った顔立ちからは往年の美形が容易に偲ばれる。昔、男達をその魅力で虜にしたことを想像するに難くない、中年太りの身体から繰り出されるハスキーな歌声。しっとりと心の中に滲み込み、ねっとりと心の襞にからみつく。心の最深部から熱いものがこみ上げてくる。

日本は息苦しい。モノが溢れ、政治的自由もある。文化的生活とかいうやつもほどほどに努力すれば手に入れられる。なのに、日本にいると酸欠状態に陥る。なぜだ?
何もかもがハチャメチャでいい加減なフィリピンに来ると、なんとも言えない安堵感を覚える。癒される。なぜだ?
日本では常に他人との距離を推し測り身構えて緊張している。フィリピンに来ると酸素ボンベから酸素が送られるように生き返る。なぜだ?
とにかく、日本は空気が薄い。なぜだ?
自分でも、うまい解答が見つけられず、納得できないでいた。

が、最近、少しずつ気づいてきた。俺が変わっているんだ。
日本はギスギスした経済効率優先社会。
日本は金のためには魂さえ売りかねない拝金教社会。
日本はもう出来上がっってしまっている硬質の社会。
そんな社会で生きることにあきあきしてしまった。息苦しくなったんだ。
そんな社会で闘うことから卒業しかかっている。
そんな社会での存在理由が希薄。アイデンティティがつかめない。疎外されていると感じる。未来に希望がもてない。
上昇志向はもういい。俺は日本の社会から既にはみだしている。心身ともに適合できない状態になっている。
競争社会から離脱する願望を抱いてしまったようだ。
このままでは生きる意欲が次第に失われ、死に向かって一直線に下降していきそうでならない。
ヘルプ・ミー!

貧しさと不幸は同義でない。豊かさと幸福も同義ではない。
フィリピンで過ごす時間が長くなると、実感できる。
幸福は努力して獲得するものではない。優越感等の他人との比較の上に成り立つものでもない。
自分の中に存在している。それを発見するには、柔軟でしなやかな、ゆとりある心が必要なようだ。
言い換えると、幸福とは自分の中にしなやかで柔らかな心の状態を保つことだなのだ。

誰かと繋がっていたいという切なく願う。
気持ちの通じていない女と情交するほど寂しいことはないとつくづく感じるようになった。
優しい女の寝息を感じながら、隣りで静かに休みたい。
女を支配するのではなく、女と共生するんだ。

待ち受けている人生の孤独から逃れたいという焦り。死の恐怖とは違う将来への漠たる不安。
もう孤独には耐えられない。
守ってやる家族が欲しい。自分を必要とする家族が欲しい。
喜びを倍にして共有し、悲しみを半分にして分け合う連れ合いが欲しい。
夢を共に追いかける伴侶が欲しい。
が、悟った。願って獲得しようとばかりいる自分。そんな身勝手な奴には神様は幸せを配分してくれないと。

そして、新しい境地に突き抜けた。
「自分のためではなく他人(ひと)のために生きるんだ。自分の中にある幸せを見つけるために・・・」



   ・・・・・・・6・・・・・・・・
午前10時ぴったり、コーラの携帯がなる。几帳面な隆志からとすぐわかったわ。
「コーラ、お早う。ご機嫌はいかが?」
「絶好調よ。ジーナと二人で出かける用意をしているところ」
「どこで会おうか」
「どこでもいいわよ」
「マラテのアリストクラトってお店、知ってるよね」
「もちろんよ。ジーナ、あそこのチキン・バーべキュー、大好きなのよ」
「よかった。じゃあ、そこで12時半、どうかな」
「いいわよ。でも、間に合うかな」
「大丈夫。たっぷり待たせてもらうから」
「そう、じゃあ、たっぷり待ってね」
「お姫様、二人と会えるんだよね。気持ちが舞い上がっているんだけど・・」
「あら。途中で車にはねられないでね」

「アリストクラト」はロハス・ブルバードにあるチキン・バーべキューが人気のレストランよ。
たっぷり待つと優しく言われると意地でも待たせるわけにはいかないわ。
道路が思っていた以上に混んでいて、12時40分過ぎ、お店に到着。あたしは動きやすい普段着。ちょっと、露出度が高いお色気仕様なんだけどね。近所に出かけるときの格好よ。モスグリーンのTシャツにジーンズ。隆志に普段の私を見てもらいたいの。一張羅の白いワンピースを着せたジーナの手を引いて広い店内を探しまわったがなかなか見つからない。ロハス・ブルバードの入り口に近い目立たない席の方へ眼をやると、たっぷり待つつもりなのか、隆志は2本目のサン・ミゲールをビンから直接に飲んでいる。手を振る私を見つけると、うれしそうに手を振り返し微笑んできた。この笑い顔が好きだ。遊び人でひどい男なんだと悪ぶって言うけれど、この笑顔を見れば、そんなこと、嘘だってすぐばれるわ。あたし、頭はよくないけど、勘は鋭いのよ。でも、おかしいわ。あたし、こんな年上で不細工な男に魅かれ始めている。今までなら、ありえないことよ。近づくと、初めてのものを見るように、ものめずらしそうに私をぶしつけに見回してくる。無礼な奴。でもないか。あたしの計算通りなのよね。

この3年くらいの間に、いろいろなことがあったの。大変な経験をしたと言っていいわ。
恋に落ち初めて心の底から愛した男への刃傷沙汰。肺癌を患ってやせ細って死んでしまった母。
母の死から1ヶ月と立たないうちに、今度は母の看病で無理をし続けたいた上の姉が心臓の病で倒れてしまった。
下の姉は、4人の子を持ち、遠く離れたミンドロ島で暮らしている。
その姉からの経済的援助がわずかばかりあるものの、ジーナと病気の姉とその3人の子供達の面倒を直接みるのは私しかいないの。それまでは、母と長女に頼りきり甘えん坊の末っ子だったのに、いきなり重い責任がずしりと両肩にのしかかってきたの。パニックだったわ。でも、あたし、これでも気が強くて頑張り屋なのよ。嘆いている暇もなかった。やれるだけのことはやってきたの。
自分ひとりで考えて生きていく事への不安。5人の面倒をみる重圧。大変なものだった。もういい加減な生き方はできないと、自分で自分の心にムチ打ったわ。
バゴンとご飯だけの食事が続くこともあった。姉の上の子、二人は、15歳と13歳の女の子。二人を引っ張って、励ましながら協力してもらってなんとかやってきたの。姉が人望があったから、近所の人たちがいろいろ助けてくれたわ。
悪いことって続くものなのね。ジーナの様子がおかしいから医者に連れて行ったら、自閉症と診断されたの。そう言われても、どうしたらいいかわからない。頭の中が真っ白だったわ。それよりもその日の食い扶持を稼ぐのに必死だった。

客観的に見てジーナは文句なく可愛いと思う。でも、普通の子とどこか違うの。変なの。母である私に視線をあわせようとしないし、あやしても笑わない。他の子供にほとんど興味を示さないし、あたしが何かをさせようとしても全く無関心で、ただただ自分の好きなことや好きなものにのめりこんでいるだけなの。音や光に反応して、時々気が狂ったように泣き喚くし、暗がりを異常に怖がるの。
疲れきって帰っても、将来が不安で不安で、気持ちが休まることがなかったわ。

「隆志、待った? こちら、ジーナよ」
「ジーナちゃん、こんにちわ。可愛いんだね。お人形さんみたい。おじさん、お友達になりたいな。仲良くしてね」
ジーナはあたしの洗い晒しのジーンズの足にしがみついたままで一言も発しない。人見知りはしてしないが、全くの無関心。いつもの通りだ。
「ジーナ、少し変なところあるでしょ。三歳なのにまだ言葉が出てきていないの。発育も普通の子より相当遅れているのよ。私が男にうつつを抜かし、この子の面倒を何も見なかったからよ。きっと、神様がお怒りになったのよね。あたしのせいなの。あたし、もうどうしていいかわからない」
「そうか、コーラ、大変な悩みを抱えていたんだね。もう僕がいるからね。一緒に考えよう。まずは専門のお医者さんのところへ連れていこうよ」
「このまえ、やっとできたお金で、連れていったわ。医者の見立てでは自閉症じゃないかって。自閉症と言われても、あたし、よくわからないの。もうお金がないから、お医者さんに連れていけないわ。気が狂ってしまうのかしら。死んでしまったり目が見えなくなったりすることはないと言っていたけど。あたし、心配で、心配で。毎日、泣き明かしたわ」
「東京の僕の親友に自閉症の子がいるんだ。もう大きいけどね。だから、自閉症については少し知識があるんだ。コーラ、自閉症は、脳の機能障害で先天的なものなんだ。クリスが自閉症になったのは君のせいではないんだ。だから、絶対に自分を責めてはいけないよ」
「でも、あたしが生んだのだから、あたしのせいよね」
「君のせいじゃないってば! そこのところだけはしっかりと心にとめておいてね。いいね。早速、信頼できる医者と相談して、ことによっては障害者の施設に通わせるなりさせた方がいいのじゃないかな」
「でも、あたしにはそんな余裕ないわ」
「コーラ、ジーナは僕の子になるんだよ。僕がお金を出すのは当たり前だろ」
「隆志・・・」
「君とジーナのためにお金を使うことにした。もう君の勤めるお店には行かないよ。もう贅沢はできない。とりあえず、君とジーナが僕のホテルに来るか、僕が君の家に行くかした方がいいみたいだな。僕が日本に帰るまでの5日間、3人で仲良く暮らそうよ。僕も自閉症について勉強するようにする」
「隆志・・・、ありがとう」
「さあ、食べよう。腹が減っては戦ができないって言葉が日本にあるんだ。何にする?」
「もちろん、チキンバーベキューよ。それとパンシット・カントンが欲しいかな」

タオル地のハンカチをジーナの服の襟元にはさみ、チキン・バーべキューを串から外して小さく切り、フォークに突き刺してジーナの手に持たせてやった。時折、水とパンシットを口に運んであげる。ジーナはいつの間にか手づかみで、手と口の周りをソースでベタベタにさせてバーべキューを食べるの夢中になっている。汚れたの口の周りをナプキンでぬぐってやった。隆志が見守っているのを感じる。たぶん安心感というものなのね。温かで穏やかな気持ちが胸全体に広がっていく。こんなリラックスした気分になるのは久し振り。母と姉と一緒に暮らしていた遠い昔以来よ。なりふり構わず必死になって戦い続けてきたわ。やっぱり、あたしにはこの人が必要みたい。ジーナのために。いや、それ以上に私のために。

「ハハハ。母親やってるね。いい感じ。微笑ましい風景だなあ。これからは、僕もその風景の中に入れてくれないかなあ」
「フフフ、ジーナ、どうする? ジーナが良ければ、あたしは構わないわよ」
隆志はジーナの方を向き、両手を合わせ、片目をつぶる。
「ジーナちゃん、お願い」
「しゃあないな。入れてやろうか、ジーナ。いいわよね」
「今までの君のこと、生意気な女だと思っていた。その生意気なところに惚れたんだけどね。でも、普段は家庭的で優しい女なんだね。今日は君の評価がコペルニクス的に転換した革命的な日となったわけだ」
「あら、そう。なんだか皮肉っぽいのね。でも、コペルニクス的転換した革命的な日って、意味がわからない」
「そうか、すっかり変わってしまった記念すべき日ということだよ」
「じゃあ、始めからそう言って。あたし、頭、悪いのよ。だから、難しい言葉、使わないでね」
「今日は今までで一番良い表情をしているよ。写真を一枚撮りたいな。いけねえ。デジカメ、忘れてきちゃった」
「忘れん坊。東京に行っても、あたし達のこと、忘れないでね」
「それは僕のせりふだよ。東京に帰っても僕のこと、忘れるなよ」
「さっきから痛烈に感じてたんだけど、あたし達にはあなたが絶対必要よ。でも、すぐにお別れなのね。つらいわ」
「君がそんなこと言うなんて、うれしいな。大丈夫。毎日、電話をかけるから。僕も君の声が聞きたいもの。インターネット、繋げば、スカイプというソフトでテレビ電話も安くできるんだ。今度来るとき、その用意もしてくるね」
「楽しみにしているわ」
「君のところにインターネット、あったっけ?」
「隆志、あたし達、今、生活がとても苦しいの知ってるでしょ。姉の医療費は姉の貯金でなんとかやりくりつきそうなんだけど、あたしの家にはジーナ以外に姉の子供3人いるのよ。あたし、その子供達の面倒を見なければならない立場なの。だから、無駄なものにお金、使えないのよ」
「ごめん。余計なこと、言っちゃって。生活費は心配しないでね。十分じゃないかもしれないけど、東京から毎月送らせてもらうよ。できることなら、お店に出ないで欲しいなあ。ジーナと一緒に過ごすべきだと思うし、言いにくいけど、ちょっとヤキモチもある。君の素敵な顔を他の男にあまり晒したくないんだ。もちろん、強制じゃないよ。君次第さ。君は自由なんだから」
「あたしも、お店、辞めたいわ。でも、姉が働けるようになるまで無理みたい。あたし、一家の大黒柱なの。頼りないこの肩に家族の生活がかかっているのよ」
「わかった。僕はもう今までみたいに無駄遣いはしない。君が働かなくても生活できるように、頑張って稼ぐよ」
「隆志・・・、あなたから親切にされるばかりで、あたし、あなたに何もできない。つらいわ」
「コーラ、僕が君に与えるだけじゃあ、ないんだよ。僕は君にたくさんのものがもらえそうな気がするんだ。なんていうか、生きる力というか、生きる目的というか。君とジーナが存在しているだけで僕は勇気が出るんだよ。一緒の夢をみて生きていきたいんだ。いいかな?」
「うれしいわ。涙がでてきちゃったわ。あたし、こんなに弱かったかなあ。馬鹿みたい」
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by tsado4 | 2007-10-18 09:53 | (創作)蘭園の告白

蘭園の告白(その4)

   ・・・・・・・・・・7・・・・・・・・・・
男なんてはなから信用していないわよ。
17歳のとき、最初に死ぬほど好きになった男。並みのハンサムは彼の横に立つのを嫌ったわ。背が高くて目が澄んでいて普通に動作しても優雅に見えてしまう男、つまり、ジーナの父親は特別だった。信じていたわ。だから、他の女に心を移したのを知ったとき、刺しちゃったのよ。そのとき、あたし、確かにどうかしていた。尋常な神経ではなかったわ。大人になった今のあたしなら、許せていたのかもしれない。でも、世間知らずで高慢で潔癖で一本気な、少女を卒業したばかりの女はひどく傷ついたの。自分は振られることのない特別な存在と思っていた。死にたくなったわ。他の女といちゃいちゃと仲良くしている裏切り者を抹殺したかった。朦朧とした無音の暗い悪夢を見ていたのかしら。気づいたら、刺しちゃっていたの。あたしの男不信の原点よ。
あたし、男に不自由したことはなかった。あたしが好きになれば向こうも好きになってくれていたわ。
22歳になるまでのあたしなりの美学と哲学。若くてハンサムな男としかつきあわなかった。いくらお金持ちでも容姿の水準以下の男とはつきあわなかったわ。
いくらわがままを言っても、男達はあたしの機嫌を取ったわ。皆、あたしをものにしたくて猫撫で声で優しく話し、優雅に振舞う。あたしを抱きたくて無理してお金を使って、調子のいいことばかり言う。でも、あたしがいったんなびいた後はがらりと態度変える奴が多かった。だんだん傲慢になっってくるのよ。嫌でも男の本性を知ったわ。自分の女と勘違いして所有物みたいに取り扱い始める。ふざくんじゃないわよ。あたしが男のペットになると思う? 男が冷めたと言うけれど、あたしの方がとっくに冷めてしまっていたわ。
試しに一度不細工なお金持ちのボンボンとつきあったことがある。がっかりしたわ。お金で女は自由になると自信たっぷり。欲しいものを何でも買ってやると言い、その割りには吝嗇。どこそこの有名人と付き合いがあるだとか、自分がこれこれの名門の家柄であるだとか、自慢たらたら。吐きそうになったわ。金輪際、容姿のさえないださい男なんて無視しようと決めたわ。
さすがに、お店に勤めるようになってからはそうもいかなくなったわ。規格外の男でもお客はお客。規格外の男もなかなかのものだとそのよさもわかってきた。あたしって、井の中の蛙だったのね。容姿の水準以下の男、年上の男ともつきあうようになった。でも、皆、紳士的で優しく嫌な思いはしなかったわ。お客に恵まれていたのかしら。でも、しっかり営業と割り切っていたわ。始めてポリシーを破って、一腺を超えたのが隆志。なぜだろう。
出会いも出会い。知り合ったときから私の家庭の事情が筒抜けで、色恋ぬきで励ましてくれた。相談相手になってくれた。なんでも気軽に話すことができたわ。悪ぶっているけれど底抜けに明るい憎めない男。むしろ、その明るさの背後から漂ってくる寂しさに同情したのかな。

優しいことを言ってくれたけど、隆志も東京に戻ったら、気持ちが変わるんじゃないかしら。今までの男と同じように。不安になるわ。そのときはそのときよね。今は隆志の言葉を信じることにするわ。少なくとも、あの人、先のことを考えずに嘘をつくような軽い男じゃないことはわかっている。かけてみるわ。裏切られたら、今度ばかりは立ち直る自信がないけれど。あたしの人生、最大のばくちよ。ママ、助けてね。見守っていてね。


「今すぐにでもマニラで君と一緒にくらしたい。けど、そうもいかないんだ。僕は今現在のことだけを考えて行動できるほど若くはない。後8年、日本で働けば、日本の年金の受給資格がもらえる。そうしたら、大手を振ってマニラに来るよ。それまでは、今まで通り、僕が2ヶ月に1度ほど、マニラに君達に会いにくる。君がよかったら、しばらく三人で一緒に日本に暮らさないか?」
「そうね。姉が働けるようになったら、それも良いかなあ。あたし、外の国も見てみたいわ」
「でも、その前にまず結婚しなければならないな」

隆志は、あたしの方を向いてわざとらしく膝まづきあたしの手を取って、あたしの瞳をまっすぐに見つめて厳めしい顔をして言ったのよ。周りの人達に恥ずかしかった。けど、うれしかった。周りの風景なんか視界からすぐに消え去っていたわ。
「コーラさん、お願いします。僕と結婚してください。君とジーナを一生、大切に守ります」
「どうしようかなあ。隆志、若くはないよね。一生、守るって、来年あたりポックリ亡くなっちゃうってことないわよね」
「大丈夫。絶対に生きる。君がしわくちゃのおばあさんになり、僕がパンパースをつけて寝たきりになるまで執念で生きてやる。あれえ、それって僕の方が守られているのか。そのとき、コーラ姫は僕のパンパースの取替えてくださいますか」
「隆志の態度次第よね。ジーナに押し付けちゃっているかもよ」
「うわあ、きついなあ。でも、それって、僕と結婚するってことが前提だよね。それでもいいや。コーラさん、もう一度、お願いします。僕と結婚してください」
「そうね、いいわよ。こちらこそ、よろしくね」
「よかった。これから忙しくなる。早速、手続きについて調べよう」
隆志の顔がぱあっと明るくなり、輝いて見えたわ。隆志って、時々単純で子供みたいなんだから。これから訪れる私達の未来を思い描いて酔っているみたい。あたしも、精神的にも肉体的にもぎりぎりの綱渡りの生活から解放される確信を得てほっとしたわ。もう、一人ぼっちで戦わなくていいのよね。これからは二人なのよね。

「コーラ、ジーナの病状が安定したら、ジーナのの妹か弟を作ることを考えてくれないか。もちろん、ジーナは僕の娘。これからも大切に育てていく。差別する気持ちなんてこれっぽっちもないよ。でも、正直なところ、僕達二人の血の繋がった子供も欲しいんだ。理解してくれるかな。僕、両親にずっと親不孝をしてきた。姉が一人いるけれど、一生、独身を通しそうなんだ。だから、どうしても孫の顔を見せてやりたいんだ」
「あなたの言うこと、わかってよ。心配しないで。ランちゃんだったわよね。喜んで産むわよ。なんなら、1ダースくらい産んじゃってもいいわよ」
「ワーオ。それは楽しそうだけど財布の方がもたないと思う。でも、ありがとう」
「隆志とあたしの共同制作よね。素敵なもの、作りたいわ」
「その作品、コーラは顔とスタイルの方を担当してくれないか。僕は専ら頭の方を担当するから」
「嫌よ。あたし、隆志そっくりの男の子も欲しいもの」
「男の子なら、まあ、いっか。でも、僕と瓜二つの女の子だけは勘弁してほしいなあ」
あたし、子供、大好きなの。できれば、5、6人、欲しいわ。隆志、責任感は強いから、作っちゃえばなんとかしてくれるわ。あら、あたしも、見かけによらず頑張りやなのよ。頑張っちゃうんだから。

午後3時を回った頃、アリストクラトを出たわ。ジーナはお店の前の駐車場に駆け出し、手をヒラヒラさせながら、くるくる回りだす。この頃、よく見せる理解できない動作なの。ちょと眼を離した隙に、道路の真ん中に走り出していた。そこに信号待ちをしていた車がいっせいに発進してきたの。車のクラクションが鳴り、その音に脅えたジーナは道路の真ん中で立ちすくんでいる。あたし、心臓がとまりそうになったわ。悲鳴を上げたと思う。連れ戻しに駆け出そうとした。その前に隆志が動いたの。大きく手を振り回し、大声で何か叫び、車の注意を引きながら、ジーナのところに突進していった。ブレーキの音。恐怖で泣き喚くジーナをしっかり抱き上げている。あたし、パニックになっていたわ。一連の動きがコマ落しの映像のように見えたの。気がつくと、隆志が車を制しながら、震えているジーナを抱きかかえて近づいてくる。あたしも震えていたわ。涙声になっていた。
「ありがと・・・ 隆志。あなたって、いざっというとき、頼りになる人なのね」
「今頃、気がついた? でもさ、コーラ。抱き上げて、震えながらしがみついてくるジーナを感じた瞬間、ジーナが僕の子になったと思ったよ。感動しちゃった。この子と一緒に生きていくんだ。強い絆を感じた。なんか、こう、生きる力が湧いてきたんだ。僕はもう一人じゃない」
隆志がなんだか涙ぐんでいるような気がしたわ。あたしも鼻の奥の方に熱いものがこみ上げていた。堰が切れると止まりそうもないから眉根を寄せてやっとがまんしていたわ。
「隆志・・、好きよ」
長い間、男に封印していた言葉をつぶやいていたの。あたし、こんな年上でこんな不細工な男が好きになっていたんだ。もう認めるしかないわ。隆志は私の顔を覗き込み、あたしの眼を見つめて言ったわ。
「コーラ、僕は、その百倍くらい君が好きだよ」
「嘘つき! あたしの百倍だったら、あたしのために死ねるわよ」
「死ねるよ」
ぼそっと言った。冗談に聞こえなかった。隆志、好き、好き、好きよ。声には出さなかった。でも、あたし、もうどうかしてるわ。好き、好き、好き、大好きよ。こんな気持ちになったの、あの男、あの刺した男以来よ。

「あの建物、教会だよね」
「そうよ。マラテ教会よ」
「僕、神様に聞いてほしいことがあるんだ。今、中に入れるかな?」
「ミサはしていないと思うけど、入れるわよ。隆志って、クリスチャンなの? 初耳よ」
「いや、バリバリのブッディスト。ハハハ。嘘、嘘。いい加減なブッディストさ。日本の普通の仏教徒って、皆いい加減なんだ。お葬式のとき以外、ほとんど関係しないんだよ。フィリピンでは、君の信じている、教会の神様にお祈りしたいんだ」
「何をお祈りするの」
「ヒ・ミ・ツ。後で教えてあげるよ」

マラテ教会は情緒のある石造りの古い教会よ。アリストクラトからは、広場をはさんで50メートルほどの距離。デル・ピラールとリメディウス・ストリートの角に位置している。
ジーナを抱いた隆志の腕に手を回し、隆志の横顔をちらちら見ながら、教会まで歩いたわ。こんな気持ちで、これからの人生、ずっと歩み続けたい。切実に感じていた。

聖堂の中は、ミサにあわせて、人々が集まりだしていた。
隆志は、信徒席に座り、両手を胸の前で組み、眼を閉じて、眠そうなジーナを抱いたあたしの隣りで、三十分ほど、一心にお祈りしていたわ。この人、神様を信じているのかしら。少し不思議だったわ。
あたしは平和で満ち足りた気持ち。幸せっていうのはこういうことなのね。あたしの人生、捨てたもんじゃないわ。

教会を出て、近くの珈琲店に入る。ジーナは疲れきって隆志に抱かれて寝ていたわ。
「さっき、神様と約束したんだ。僕は自分を変える。僕は自分のためではなく、君とジーナのために生きる。すべてを犠牲にする。それができないときは僕は滅んでもいいと」
「いやよ。あなたが滅ぶなんて。そんなこと、絶対に、あたし、許さないから」
「何かを失うことは何かを得ること。この言葉、僕、大好きなんだ。コーラはどう思う?」
「あたし、頭悪いから、よくわからないわ。ゆっくり考えてみるわ。あたし、この1年くらいでたくさんのものを失った。でも、今、あなたとあなたとの新しい生活が始まろうとしているわ。そういうことかな」
「そうだよね。で、今はこうも思うんだ。何かを与えることは何かをもらうこと。僕はずっと他人から奪うことばかり考えていた。その結果、何のために生きているかわからなくなっていた。生きる気力を失っていた。うれしいとか悲しいとか、そんな感情すら僕とは無縁だった。感情のない息をしている死人だった。僕は君達のために生きる。すべてを犠牲にする。その代わり、生きる勇気と平安で静かな時間が手に入るような気がするんんだ」


隆志、あなたのそんな気持ち、とてもうれしい。あなたと遭う前のあたしも、ボロボロになっていたわ。もう少し何かひどいことが起こっていたら、あたし、壊れていたと思う。神様って、慈悲深いのね。ギリギリのところで、あなたに遭うことができた。あなたに遭えなかったらと考えると、ぞっとするの。荒んだ心になっていたもの、生きているかどうかももわからないわ。
今、こうして未来に希望を持つことができるようになり、充実した静かな日々を送ることができるようになり、本当に感謝しているわ。

あたしも考えてみるわ。

  何かを失うことは何かを得ること。
  何かを与えることは何かをもらうこと。

隆志が私にくれた大切なプレゼント。大切な言葉。
あたしのこれからの人生の宝石にするわ。
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by tsado4 | 2007-10-18 09:51 | (創作)蘭園の告白