日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

カテゴリ:藤圭子( 1 )

まずは、次の歌詞をじっくり味わってみてよ。知っている人は、小声で歌ってみてよ。
彼女の情念のこもった声を思い出してみてよ。

赤く咲くのは けしのはな
白く咲くのは 百合のはな
どう咲きゃいいのさこのあたし
夢は夜開く

十五 十六 十七と
あたしの人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜開く

昨日マー坊 今日トミー
明日(あす)はジョージかケン坊か
恋ははかなく過ぎて行き
夢は夜開く

夜咲くネオンは 嘘の花
夜飛ぶ蝶蝶も  嘘の花
嘘を肴に酒をくみゃ
夢は夜開く

前を見るよな 柄じゃない
うしろを向くよな 柄じゃない
よそ見してたら泣きをみた
夢は夜開く

一から十まで馬鹿でした
馬鹿にゃ未練はないけれど
忘れられない奴ばかり
夢は夜開く

夢は夜開く

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」と比較してどうだい。
比較の対象にならないって。やっぱりねえ。

藤圭子は、旭川の小学校、中学校に通った。
私と同時代に旭川に棲息していたらしい。
だからか、どこか親近感を持っててしまう。

若い頃、藤圭子は、あまり好きではなかった。
前川清とのバカップルに、軽い軽蔑さえ抱いていた。鼻であしらっていた。

だが、歳を取った最近、どんどん、圭子が好きになっていく。その良さがわかってきたのかな。

圭子は、暗い情念を歌っていたけれども、本当はものすごくポジティブで革命的な女なんだよな。

新宿、花園神社の境内に「圭子の夢は夜開く」の碑がある。
ゴールデン街の隣りの花園神社は、よく徘徊した、私の想い出の地でもある。
喧嘩して、深夜、友達をボコボコにしたこともある。アサハカだったよな。
        
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

原因を思い出した。
よかった、女のことじゃなかった。
お坊ちゃまのスカした野郎が、親に金をもらって、口先だけでナマを言うんで、腹がたって腹が立って、プロレタリアートの鉄拳制裁さ。
当時、毎日、建設現場の肉体労働に明け暮れていた。
気分だけはプロレタリアートさ。
ハハハ、全然、違うのにね。馬鹿だよねえ。
暴力には、免疫のある時代だった。暴力のことをゲバルトと言ってね。

      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

おいおい、穏やかじゃないねえ。
お前、キリスト者なんだろう。
ああ、でも、当時は違った。衝動だけで動く、心の荒れた自分がいた。
まったく、一から十まで馬鹿でした。
考えは足りなかったけど、結構純粋に思いっきり生きていたことは確かなんだが・・・

深夜の鉄拳制裁、こんな罪、まだ軽い方さ。
もっともっと大きな罪を犯していたような気がする。
法律的な罪を言ってるんじゃないよ。

   前を見るよな 柄じゃない
   うしろを向くよな 柄じゃない
   よそ見してたら泣きをみた
ここのフレーズ、特に好きなんだ。
よくわからないが、不条理を感じ取るんだ。

夢中だった。その時を精いっぱい生きていた。
まわりなんか見えなかった。
自分の好きな自分がいた。
1970年代。

    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


鉄拳を振るったなんて、お前、ちょっと、かっこよすぎるんじゃない。
まあ、勘弁してよ。実際は、振るわれた方が多かったんだから。
人生、終わってみれば、プラスマイナス、差し引きゼロさ。

新宿3丁目の「ポパイ」って飲み屋で飲んでいて、喧嘩になり、表であっと言う間にのされたことがある。後で聞いたら、元ボクサーなんだって。
てやんでえ、素人を殴るなんて、ボクサーとして失格だろうに。(だから、元がつくんだ)
でも、大怪我をしなかったところみると、だいぶん手加減をしてくれたんだよな。
酒癖が悪かった。自業自得さ。どうせ、お前がからんだんだろう。

自分の鼻血で血だらけになってわめきちらしていた。かっこワル~。
たぶん人だかりができていたんだろうな。
パトカーに乗せられて、四谷警察署に直行。
一応、被害者なので、まもなく解放されたが、署内でギャアギャア、がなり立てたのを覚えている。男のヒステリーさ。
どうだい、俺って極めつけの馬鹿だろう。
後で知ったんだが、新宿でも、あの辺は、四谷署の管轄なんだ。
どんなときでも、知ることはあるんだぜい。

それから、しばらくして、いつも一緒にいた遊び仲間が酔っ払って喧嘩して殴られてた。
類は友を呼ぶ。馬鹿は群れるんだよな。今も昔も変んねえ。
でも、そいつは頬骨を折って2ヶ月くらい入院した。
どうだい俺って馬鹿だけど運が良いだろう。
昔から、ギリギリのところで難を逃れるんだ。
 
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

どうしても「圭子の夢は夜開く」を聞きたくなり、税込み1029円の藤圭子のCDを買った。このところ、リハビリの筋トレをしながら、毎日、聴いている。
男に従属するか弱い水商売の女、不幸願望のマゾヒスティックな女のオン・パレード。
弱者としての女を強調する他愛もない歌詞に辟易する。
この歌詞、頭で考えると腹が立ってくる。
音楽って、心で感じ取るもんだったな。特に、庶民の音楽は。
演歌を聴く姿勢がなっていないんかなあ。
幼い頃から、浪曲師の両親と温泉場を旅回った藤圭子の原風景を想像しな。

自己暗示をかける。
理屈ぬきで、どっぷりと浸ってみよう。

なるほど、うんうん、良い気分がしてくるね。
良いよ。良いねえ。
感情の襞の奥深くにしまいこまれているネットリとした熱いものが騒ぎ出す。
   馬鹿だな、馬鹿だな、騙されちゃって~
   夜が冷たい 新宿の女~
これって、状況をちょっと変えれば、お前じゃないか。
ホロリとくるね。

そういうわけで、聞き込んだ結果、パソコンに入れる藤圭子のBEST3曲を次のようにした。
 「圭子の夢は夜開く」
   過去の不幸な自分を断ち切って明日を生きようという藤圭子には珍しい未来志向の曲。このメッセージ、藤圭子自身の気持ちにに、一番近かったのでは。若いときも、この曲が好きだった。夢は夜開く、意味はよくわからないけど、とにかく前向きになるよね。
  「命預けます」
   こんな女でよかったら、命、預け~ま~す。成熟した女の開き直りが小気味良い。生活がマンネリ化して秋波のたってきた夫婦は、旦那にこの曲をささげると、旦那、ドキッとするぜ。ジョークで収まれば良いけど。
  「京都から博多まで」
   すべてを捨てて、好きな男を追いかけるひたむきな女。これは素直な軽い気持ちで聞ける。すうっと心に入ってくる。

    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ここまできたら、藤圭子のファンになっちゃえということで、藤圭子の関連サイトを見て回った。
そこで仕入れた面白情報
  ・赤塚不二夫の漫画に出てくるハタ坊の「ホッカイローのケイコターン!ダリラリラーン」のケイコターンは、藤圭子のことだった。知っていた?
でも、後になって赤塚は、このことを否定したらしい。

  ・藤圭子を北海道岩見沢市の名誉市民にしようという動きが出ている。ヒカルちゃんのおかげかな。たぶん、藤圭子は興味がないだろうな。

  ・五木寛之は、藤圭子の歌を演歌でも援歌でもなく、怨歌だと言った。「ゴキブリの歌」に書かれているらしいけど、読んだ記憶ないなあ。

  ・宇多田ヒカルの札幌公演(真駒内)で「夢は夜開く」の母娘でデュエットが実現したとき、客席の圭子コールに合わせて、ヒカル自身が「藤圭子!」とコールしたらしい。舞台に圭子が出てきたときヒカルもびっくりしたということだ。な~に、仕組まれていたんだべさ。

  ・たった1年の結婚生活だった前川清との離婚に際し、クリスチャンだったため、離婚の許可を得るためヴァチカンを訪れたと書かれてある。藤圭子って、クリスチャンだったの?本当?私としては、とてもうれしいの一言。ヴァチカンということはカソリックだものね。これって、本当なら、彼女を解くキー・ワードだよ。とにかく、真偽を調べなくちゃ。

  ・米国留学後、圭子はニューヨークで宇多田照實とロックバンド[キュービックU」を結成し、スタジオにもバンド活動にも、娘を連れていった。それがヒカルだ。要するに、小さい頃から、英才教育をしていたんだよな。圭子の生い立ちと重なるね。宿命を感じるよ。
   
   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 藤圭子の履歴(付録:佐太郎の馬鹿丸出し人生)

1951年7月5日 岩手県一関市で誕生
           生後間もなく北海道旭川市に移る。
           小学生の頃から浪曲家の両親の旅まわりについていく。
     (佐太郎 1945年北海道北見で誕生。釧路を経て、1955年、旭川に移る)
中学生の頃  岩見沢市の岩見沢ホールの専属歌手
     (佐太郎 1963年上京。下総中山に住み、御茶ノ水の予備校に通う。ケネディ暗             殺)
     (佐太郎 1964年 大学入学。吉祥寺に住む。東京オリンピック)
     (佐太郎 1967年頃 新宿デビュー、この頃、新宿にフーテン族出現。長髪、汚い ジーパン、ゴムゾウリの格好をした佐太郎は、そんな意識もないのに、大学の友人にはフーテンと呼ばれる)
1968年春 家族で上京。
        レッスンを受けながら、錦糸町、浅草界隈で、流しをする。
     (佐太郎 1968年 新宿騒乱、三里塚闘争の激動の年を流されて生きる)
1969年 デビューシングル「新宿の女」発売
     (佐太郎 1969年 大学卒業、某自動車会社勤務)
1970年 「夢は夜開く」で歌謡大賞受賞
       「命預けます」でレコード大賞大衆賞受賞
1971年 クールファイブの前川清と結婚
       ゴールデンアロー賞受賞
1972年 前川清との離婚発表
    (佐太郎 1972年 フリーターになり、自由放縦な生活を送る、八重山群島など、南           の島によく行くようになる) 
1974年 喉のポリープ手術、かすれた声が出なくなる。
1979年 突然の引退声明。 
1980年 アメリカへ28歳の旅立ち
       カリフォルニアを経てニューヨーク滞在
1982年 ニューヨークNYにて宇多田照實と結婚
       (佐太郎 1982年 マニラにて結婚)
1983年 ヒカル誕生
       (佐太郎 1983年 長男誕生)
1990年頃 夫、娘とU3を結成、活動を始める。

どうだい、佐太郎の馬鹿丸出し人生、妙に、藤圭子と符合するところがあるだろう。

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 極私的藤圭子考

 圭子の仕草、生活態度は、ハスッパに見えるが、その中に自立した熱い情熱が渦巻いている。
 圭子は、慣習・しきたり・世間体をほとんど気にしない。
 圭子は、防御的人生を歩まない。

これは、わが郷土、北海道女性の一典型に私には思える。
歌手・藤圭子より人間・阿部(宇多田)純子に興味を持ちだした。


圭子のかすれたくぐもり声には、ねっとりとした情熱、熱い吐息を感じる。その微妙な揺れは、男達の感情の根幹の部分を揺さぶる。
暗い過去を背負った寡黙の少女、レコード会社の売り出し姿勢はあったろうが、歌声は、やはり、暗い癒し系だよな。

今まで気づきあげた物を夢のためにあっさり捨てる潔さ。
演歌の大御所になることもできたのに、それをあっさり捨てて、アメリカに渡った。

幼少期から、圭子にとって、歌うことは、そのままお金をかせぐこと、食べることだった。
いつの頃から、圭子は、本当に歌いたいものが違うように感じたのじゃないかな。
音楽的な渇きを感じていたのじゃないかな。
圭子は、自分の歌っている演歌の世界の女とは、反対の資質を持った、自立した強い女性だったのだ。圭子の「怨歌」は、ひょっとすると、「こんなの私じゃない」とという痛切な叫びだったのかもしれない。
赤く咲くのは けしの花~
あの暗い情念に満ちた「怨」を感じさせるハスキーな歌声は、「本当の自分」とはかけ離れた状況で生き続け、歌い続けなければならない彼女の恨みの響きだったと言えないこともない。
圭子は「本当の私」を探しにアメリカに旅立った。アイデンティテイを求めて。


旭川での小中学時代、アメリカに渡った後のこと、まだよく知られていない。
本当にクリスチャンなのか。
まだ、知りたいことは、たくさんある。

あなたは、夢のためにすべてを捨てられるかな。
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by tsado4 | 2004-10-02 11:36 | 藤圭子