日頃それとなく感じている思いをそこはかとなく書きつくる雑記帳というか、駄文集というか、落書き帳というか・・・


by tsado4

父親殺しのススメ

父親は悲しきものだ。
息子に殺されるのを待つしかない。

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6月から3ヵ月半、マニラに滞在した。9月半ば、東京に帰ってくるなり、専門学校を辞めたいと、次男に思いつめた表情で切り出された。
6月、東京を立つとき、「学校はどうだ」と聞くと「面白い」と答え、生き生きと通っていたのに、おいおい、何が起こったんだい。
大学に行けという私の意見など一切無視し、自ら選んだ専門学校だ。
この年齢は、つまらないことで、やる気を失ったり自信を喪失したりする。
「どうして辞めたいんだ」
「自分に向いていないことがわかった」
「まだ、入ったばかりで、向いているかいないか、結論を出すのはちょっと早過ぎないか」
「とにかく、辞めたい」
「辞めてどうするんだ」
「やりたいことがあるんだけど、今は言えない」
だんだん腹がたってきた。以前の私なら、怒鳴っていたところだ。
じっと我慢する。身体が脳卒中の後遺症、片麻痺になってからは怒るのもつらい。哀しくなってきた。
何故だ。本当の理由が知りたい。
「友達関係がうまくいってないのか、先生に何か言われたのか」
「そんなことはない」
「お前の人生だ。やりたいことをやるのが一番だ。反対はしない。何をやりたいんだ」
「はっきり決めたわけではない。今、探している」
「お前、まだ社会人の入口の入口にいるんだけなんだよ。とにかく来年の3月までは通ってみろ。それで向いてないという思いが変わらないなら、新しい道に進むんだ。喜んで応援する」
もう少し我慢させて考える時間を持たせたいのだが、乗ってこない。

とにかくさっぱり要領がえない。
詳しく聞こうとすると、口を貝にする。
次男の性格はわかっている。
これ以上追及しても無駄だ。

大人になる最初の壁にぶちあたったのか。
自分に向いていないことが早い時期にわかったなら、何も咎め立てする理由はない。
なるべく善意に解釈し、息子を信じてやることにした。
言うだけのことは言って、後は時機を待つことにする。

私も親の言うことなど、まるっきり無視してきたものなあ。しょうがないか。
私が親父にしたことを、息子にされたのだから、文句言える筋は何もない。
因果は繰り返すのさ。神様はお見通しさ。

「とにかく、昼、家でゴロゴロするのだけはやめてくれい。こちらがつらくなる。授業料も払ってあるのだから、3月まで通ってみたら。何かしら得られるものだぞ。学校に行かないのなら、来年のために資金稼ぎのバイトするのもいいだろう。自動車の免許でも取るのもいいんじゃないか。気が変わって、来年大学に行くのだったらそれも良い。あまり勉強しなくても入れる大学、あるよ。大学に通っている間に、やりたいこと、探しても良いんだよ」

私達夫婦がしばらくいなかったことが影響しているのか。少し責任も感じる。
悩んでいるとき、相談してやれなかったものな。
女房とも話し合った。
「息子の人生。息子の責任でやりたいことをやらせよう」というごく当たり前の結論に至っただけだった。
来年4月、再度、他の専門学校などに身を置いて新しい挑戦をしてもらうつもりだ。
自分の人生の軌跡を次男に押し付けるつもりはない。

その後、新宿のセブン・イレブンで週4、5日のバイトを始めたが、今のところ、インターネットとゲームに夢中。何をするつもりなのか、返事はなく、やきもきしている。
信じるときめたんだ。じっと見守っているさ。

男の子は自分の中で親父を殺すことが自立への第一歩なのかなあ。
親父の生き様、考え方を否定し、自分の中にある親父の影をできるだけ消し去る。

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浜松に住んでいる長男は私を見事殺した。
大学に行くことを拒否し、20歳で早々と結婚して働くという形で。
世間的に良いといわれる大学に入れるように、それなりに努力させてきたのだがすべてが無駄になった。私の職業、大学予備校の責任者の眼でみれば、その気にさえなれば、早稲田・慶応あたりは入れる能力はあったのに・・・・・。すべてが無駄というのは言い過ぎか。長い人生、どこかで必ず活きてくるよな。
とにかく、私の強い希望を無視して見事に反抗し通した。私も、何かと干渉していた私の姉達も、あっけなく殺された。
お陰で、死ぬ前に早々と孫娘、和夏に会うことができた。今となっては、その副産物に心から感謝している。
何かを失うことは何かを得ること、私の大好きな言葉の一つだが、見事にその言葉が具象化していた。神に感謝。
昔は長男を強奪(当時はそうしか思えなかったほど心が冷え切っていた)していった長男の嫁が憎らしかった。が、今はその思いは完全に消えている。何物にも換えがたい大切なものを貰ったんだものな。
この11月、長男から「見せたいものがあるから、浜松に来てくれ」と電話があった。孫娘にも会いたくてたまらなかったし、フィリピンから帰ったばかりの女房と二つの返事で駆けつけた。

ずっしりとローンをかかえてではあるが、マイホームを新築していた。
私がマンションを買った年齢より、10歳ほど若く。
久し振り会った長男は、心なしか、顔からも態度からも大人っぽい落ち着きが感じられた。
足の悪い私を思いやる心遣いもしてくれ、ちょっと目頭の奥の方が熱くなった。

子供は一人で成長していくんだ。子離れの方が大切なんだよな。
でも、君の社会人として大人としての人生。始まったばかり。
  You’ve only just begun.
連れと相談して怖がらずに何にでも挑戦しろよ。
人生は一度っきりさ。

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己の過去を振り返ってみると、親父を一刀両断でばっさりと冷酷に殺したようだ。
父の葬儀のとき、まだ人生のツッパリの真最中にいた。そんな私も、父が寂しがらないように父の棺のそばに朝までついている役割を自発的に申し出た。皆の寝静まった深夜、棺をそっとずらして、誰にも悟られないように涙した。申し訳なく情けなく、悔恨の涙が次から次とあふれ出た。心からの感謝の気持ちでいっぱいになり、親孝行らしきことを何もできなかったことを、父をないがしろにし続けてきたことを、ただただ頭を垂れて謝るだけだった。

地方銀行の銀行員だった。
当時の父親の多くがそうであったように、一家の横暴な専制君主。
小さいときはよく殴られもした。
体力も知力もついた高校生の頃からは、むしろ侮蔑の対象になった。父親のようにはなりたくないという思いがだんだん強くなった。
謹厳実直と言えば聞こえがいいが、石橋を叩いても渡らない慎重と保身。非冒険主義。
貧乏な者、朝鮮人など異端者への差別的言辞。
肩書き、財産で安易に人を判断する、無節操な偏見。
安心して金が貸せるかどうかが人を判断する基準だったのかなあ。職業的習性とと言ってしまえばそれだけだけど。
小心の裏返しの暴力的家長。言葉で諭すということはなく、手で言うことを聞かせようとした。
囲碁と畑仕事と一日一合の晩酌。糞真面目。面白み、遊びがまるでない退屈な人間。
嫌で嫌でたまらなくなった。
絶対に父親のようにだけはなりたくなかった。
親父の息子に対する希望は、単純明快。
 良い学校を出ること。収入の良い安定した仕事に就くこと。
社会のために捨石となって生きるとか、地の塩、世の光となって生きるなんて選択肢は考え付きさえしなかったようだ。
第一次産業とその従事者を低く見ていた。
宗教とか、芸術とか、スポーツとかには無縁。理想とか、夢とか愛についての会話は皆無。
とにかく、実益にならないことは人生において無駄なこと。
親父が良い学校を出ることに執着したのは、自分の学歴コンプレックスに起因していたのかもしらない。華を持たせてもらって小さな支店の支店長で定年したものの、大卒の人間に出世の上で追い抜かれていたような気がする。今となってはなんの根拠もない推測に過ぎないのだが。そんな気がしてならない。
そんな親父に経済的に恩恵を受けていながら、感謝することなく、軽く見続け、嫌い続けてきた。
親父の生き様を受け入れることができるようになったのは、自分が子を持つようになってからだった。


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どの家族にも共有する価値観、というものがある。
プラスに働くと、それが家族の絆を強め、家族一人一人が寄って立つ基盤となる。
一方、家族の誰かが新しい未知なる方向に、何か行動を起そうとするとき、その家族共通の価値観が障害となりマイナスに働くことが多い。家族の呪縛という形で足を引っ張るのだ。その価値観から抜け出すには、相当のエネルギーを必要とする。


女の子は、自分の中にしっかりと父親を育くむことが多いようだ。
私の姉達の場合は、親父の生き様、価値観をしっかり受けついでいる。
家族の価値観を保守的に守っている。
それどころか、奇形的に拡大再生産をしているようだ。
寄らば大樹の陰。
ビジネスの世界なら、大企業のサラリーマンはよし、個人営業主は駄目。
教育の理想など糞食らえ。
教育の世界なら、大学の先生はよし、小学校、中学校の先生は駄目。
医は算術、大いに結構。
医の世界なら、医者はよし、看護士は駄目。などなどなど・・・・・
女房と共に死ぬまで許せない。
人種なら、西欧はよし、東南アジアは駄目。
偏見に満ちたその価値観につきあっていると、辟易してくる。イライラしてくる。
高い学歴と、社会的ステータスのある職業の絶対視。
どんなに社会に有用であっても、現場で汗を流す職業、収入が低い職業は侮蔑する。
助けてくれい・・・・・

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次男は、どんな形で私を殺すのか。楽しみにしている。
撲殺でも、斬殺でも、銃殺でも良い。早いところ、なぶり殺してくれい。待ってるよ。
もう悩んだり怒ったり心配したりすることはやめた。
自分の人生は自分で決めるのさ。
自己表現のできる場を探せ。挑戦してみろ。
次男の人生の軌跡を楽しんで温かい目で、見守っていればいいじゃないか。
そんなに長くは見守ることができないだろうが。
もちろん、困ったことがあったなら喜んでアドバイスするぜ、金銭面でなければ。

夢を見て願うことなら、ガキでもできる。
実現させないとね。
それが男になる、大人になるということさ。
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by tsado4 | 2006-11-25 17:14 | 随想